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深夜に飲み屋街でひとりの女性と会う

近所のクリスチャンの友人から電話で、近くの飲み屋街で祈りながらわいわいみんなでウォーキングしよう〜!とのお誘い。23:00。普段なら眠くて爆睡の私も今日は偶然起きている。行くよね〜!!

クリスチャンは「prayer walk」をすることもある。その地が神に守られるように、その地にいる人々が心の癒しを受けるように。

屋台にひとり座る女性を見つけ、友人たちには先に行ってもらい、隣に座る。年は50代で、かなり深く酔っているけど姿勢もシャンとして、素面の時はさぞ頼り甲斐がある姉御なのだろうという感じ。

「最近どうですか?」「人生で手に入れたいものは全て手に入れたはずなのになんだか虚しい気がする」

冷たいかもしれないが、「そりゃそうですよね」と言う私。本心。全人類が不完全で創造されて、この世の何をも心を満たさないのは聖書に書いてある事実だ。
「だよねえ!」と盛り上がり、彼女の人生について色々聞く。

話の途中で私がクリスチャンであり、牧師の免許を取るために沖縄に来たことを話す。

「えー?じゃあ私のために祈れる?」軽い感じで言われ、おっかなびっくり、嬉し恥ずかし、複雑な気持ちで祈る。

『Aさんの心が虚しいのは神がそのように私たちを創造されたので、何も心配していません。どうかその虚しさ、心の穴を我が主なるイエスよ、あなたが埋めて下さいますように。主が常に共にいることをAさんが気づき、キリストの愛と喜びを受け入れて下さいますように。イエスキリストのお名前によってお祈りします、アーメン』

私はどちらかというと「一方的で直接的な祈りはハラスメント」だと思う気質なので、Aさんが「冗談で言ったらガチで祈られたキモ…」と思うかなどと心配していたが、酔いのおかげか、やっぱり冗談だったのか「救われたーっ!」と笑い叫ぶAさん。ハグをしてくれたが、おそらく一回吐いたのだろう。苦しかっただろうに。どうかもうそんな苦しみを感じませんように。

会社の名刺に個人の電話番号を書いて手渡される。これは連絡していいやつなのか。

神が持つ私の人生のパズルの全体像は見えないが、今日は私にとって何か特別なパズルのピースであった気がする。

友人とprayer walkを続け、帰ったのは2:00。出会ったすべての人が孫のような愛おしさで、全員家に呼んで食事を振る舞いたい。
いつかそういう場所を作ろう。

サポートいただけますと感謝です。ーおもちみつ