人生をかけて呪いを解く


短大で先生から「わかっていると思うが、お前はヒロインっていうタイプではないから」と言われた。

たしかそのあとは、でもお前にしかできないことがあるからそれを極めろ的な言葉が続いたと思う。その当時はお前にしかできないことがあるに注目して喜んでたけど、いや、喜んでるってことにしてたけど、10年経ったらそっちは全然覚えていないのに、ヒロインじゃないって言われたことはずっと覚えている。

ハッキリと否定されたらそれを喜ばなければいけない、というような風土があったと思う。歯に絹着せずに何かを言ってくれる人は自分のことを考えてくれている人だ、というような。そして、それにナイーブに傷つくことは愚かで時間の無駄で、素直に吸収するか、ムカついたなら実力つけて見返せ!みたいな。間違ってはないと思う。俳優ってとにかく客観性が必要な仕事ではあるから。

私も客観性がない人ってダサいなって気持ちが強くて、18歳から25歳くらいまで、必要以上に自分を醜く捉えていたように感じる。初めは自分は特出して美しいわけではないのだから何かアピールポイントがないといけないな、くらいの芸事をやる上で健全な考えだったような気がするが、それがどんどん自分は醜いんだ、醜い自分でも好いてもらえる方法を考えないと、になり、私は自分が醜いってちゃんと気付いてますからねー!の目配せをするようになった。人から「わ、この人自分が醜いってことに気づいてないんだ、クスクス」ってされることがとにかく怖かった。

明るくて、楽しくて、美しくない人、として過ごすのはかなり楽だ。誰もわたしを羨ましがらない。誰もわたしを妬まない。だけど、評価を得られたときそれがすごく「正当」な気がしてしまう。

この感覚をしっかりじっくり言語化することがルッキズムに向き合うということだと思う。かわいいからすき♡ブスは嫌い♡見た目を褒めたらダメなんだよね(笑)みたいなの、広めたの誰?怒っていい?怒ります!キー!

何が書きたかったか、わからなくなっちゃった。

そう、とにかく、私たちは死ぬまでこの肉体を使い続けるしかなくて、いろんなバージョン変更の方法はあれど、ベースは生まれたこの身体、顔で生きていく。最近やっと好きになってきたこの身体は妊娠出産を経て、さらにままならないものになっているけれど、でもなんかしっくりきはじめた。あと70年あると思えば、まあ、遅すぎることもないだろう。

わたしのかわいい宝物赤ちゃんはきっといろいろ悩むんじゃないかと思う。目の大きさ、鼻の高さ、肌の色、毛の濃さ、とか。でも、どんな見た目でも、当たり前にヒロインだよって言い続けたいし、それを否定する人がいたら、全員普通に殺す。絶対に殺す。許さない。

わたしはでも、ヒロインって感じじゃないよって言ってもらえてよかったと思っている。だって先生だし、そういうこと言ってもらうために学費払ってもらったから。

でも、ただ生きてるだけの女の子を容姿だけでジャッジしてヒロインの資格なしのスタンプを平気で押す人、たくさんいる。そして、そのスタンプを押された女の子が、他の女の子に押すパターンもたくさんたくさんある。悲しすぎる。

みんな、自分の人生の主役をやっている。その数だけ物語があるんだから、どんな人だって、ヒロインになれるに決まってる。わたしも、まだ、鏡の中のわたしに言い聞かせている。人生をかけて呪いを解く。

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