「消してー!」待ち


駅でアジカンのリライトを結構なボリュームで歌ってるおにいさんがいた。昼間だったし全然シラフだと思うんだけど、楽しそうでいいね、と思って聴いてたら「消してー!」の部分で突然小声になっちゃった。昼間に駅で歌うようなメンタリティなのにサビだけ小声になったことにも驚いたし、ならなんでその選曲なんだよってことにも驚いたし、なにより「消してー!」待ちしてた自分に驚いたよ。

最近Twitterあんまり見ないようにしてるんだけど、とはいえやっぱり手癖で見ちゃうのね。でも、もうとにかく盛り上がってる話題にTwitterでは言及しないって決めてるからここで言及します。(意味ない)

オスカー授賞式。エマストーンもRDJもそれなりに好きだし、自分と同じ属性のアジア人がああいう扱いを受けるのはやっぱりしっかりダメージ受ける。が、わたしは海外に行ったことがなくて、日本の中では圧倒的マジョリティなので心の底から理解できることは無いと思う。普通にまあなんかああいうことって人生であるっちゃあるけど人種差別由来ではないしね。わたしが一番嫌?嫌とも違うか、なんかモヤモヤした気持ちになるのはミシェル・ヨーがインスタでコメントを出して、その写真の一枚目がエマのドレスの背中が開いちゃってる写真で、それについて「強か!」「最高の意趣返し!」みたいに書いてる人たち〜!!!!!ミシェル・ヨーにその意図があるかないかは本人にしかわからないから、もし事実そうだったとしても、それはいいんだけど、なんかでもそうは言ってないのに、勝手に解釈してなんかよくある「女同士の水面下の争い」みたいなところに嵌めようとしてる感じも、なんか全部嫌だった!あ、嫌なんだ!嫌でした。

他にもいろいろ目につく話題はあるけど、やっぱり別に書かなくていいな。オスカーのことも書かなくてもよかったんだけど、書いちゃったし、本当にそう思うから……。

配偶者は(わたしのTwitterのいいね欄をおそらく一日に2回ぐらいチェックしてることもあるけど)だいたい同じような感度で世界を生きているから、だいたいのことは配偶者と話せばいい。わたしが主体となってこの世に訴えかけたいこと以外について、わざわざ書いたり、共有したりする必要もない。

ミクロな世界の幸せを守るために、マクロな世界に対してのアンテナを張っておくことは絶対に必要だし、さまざまな事柄について自分の立場をはっきりさせておくべきだし、できる範囲で学ぶべきだし、主張があるべきだし、議論もできるべきだとわたしは思う。けど、その場所がインターネットである必要は必ずしもない。とくに議論については、インターネットはあまりにも向かなさすぎる。インターネットは悪意ばかり増幅する。人間はそんなに文章だけでのコミュニケーションに長けてるわけではないんじゃないかな。そういう人もいるかもだけど、それって多分特別な能力だ。

わたしの大好きな人たちの中には主義主張が全く合わない人たちもいるけど、それで嫌いになったりしないし、それについて論破してその人を変えようという気もない。それはその人の一面であって自分が好きになった面がそれ以外の面であるというだけだから。さすがに目に余るレイシストとかだとちょっと話は別だけど。

語弊があったかもしれないけど、インターネットで何かを主張することが無意味だと言いたいわけではもちろんない!同じように怒っている、感じている人間がより多くいるという事実が物事を良い方向に向かわせることはある。それについて臆病になってはいけないな。例えばわたしの観測範囲内になってしまうけれど、パレスチナで起きている虐殺に対してアクションを起こすこと。トランスヘイトに対して対抗すること。他にもたくさん。自分の立場を明確にすること、発信を広げることに絶対意味はあると思う。と、ともに、何もできない自分に不甲斐なさがある。でも、その不甲斐なさから逃げるためにそんなことに意味はない!と言うような人にはなりたくない。

またしても、まとまりのない文章!
でも、まとまりがなくても、今の自分について書こうと思って書いてるから、いいね。自分の現在地だ、はっきり。

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