意味のなさを愛したい


いい夫婦だねみたいなことを言ってもらえると、めっちゃ嬉しいんだけど、それって結局全部配偶者が異常に優しいおかげ。あと、わたしは心のどこかで配偶者のことを神様みたいに感じていて、勝手に信じたり、縋ったり、助かったりしているからそんなに健全な関係でもないのかもしれないとも思う。でも、健全ならいいってこともないよね。人対人でやらせてもらってますから。

はらだ有彩「日本のヤバい女の子」を読んでいる。

日本の昔話に出てくる女の子、乙姫とか、イザナミとか、かぐや姫とか、お菊さんとか。その女の子たちはなんでそんなことしたのかなとか、なにを考えていたのかなとか、こうだったらどうだったかなとか、とか、そういうことがシスターフッド全開で書いてある。面白い、面白いんだけど、なんか全然読み進められなくてなんで〜?と思ってる。

この本の一番最初に出てくるのはおかめ。

配偶者が仕事でやらかした失敗に、おかめがこうしたら?って助言した。助言のおかげでなんとか仕事は成功するんだけど、女のおかげで仕事が成功したことが周りにバレたら配偶者の不名誉になるから、ってことでおかめは死んじゃう。

死ぬことないだろ、って思う。死ぬことないだろ、って思うよねって作者のはらださんも書いている。

そして

女だから、自分の存在を消すことが最もよい選択だから、私もそれで納得しているから。わたし、ほんとに全然後悔していないの。これから先どんな価値観の時代になろうと、何の後悔もないの。
もしも友達だったらそうやって笑うあなたを張り倒し、「うっせーバカ!アホ!ステーキ食ってカラオケ行くぞ!」とキレることができたのに。ステーキ食って、カラオケ行って、そのまま夜行バスで眠って、起きたら電車を乗り継いで、飛行機にも乗ったりして、あなたが満ち足りた気持ちでいられて、誰もそれを悪く思わない場所まで行ってしまえたのに。

はらだ有彩 日本のヤバい女の子 15ページ

私は思う。たぶんだけど、おかめはこのあと家に帰ってきて、高次(配偶者)とセックスをして、友達と食べたステーキのこと、カラオケでゲラゲラ笑いながら入れた合いの手のこと、全部忘れて、忘れてなくても、忘れたみたいにして、死ぬと思う。

この本はシスターフッドを信じてる。あのとき、あの場面で、私が、私じゃなくても、誰か信じられる、頼れる、女がいれば、こうはならなかったんじゃない?そんな生き方、死に方、選ばなかったんじゃない?という空気。それがわたしのページをめくる手をどうにも重くするのかも。

わたしはシスターフッドに強く強く憧れている。病的に、と言っても過言ではない。そして、その一方で全く期待もしていない。

例えば恋愛に悩む女の子がいたとして、何時間話を聞いても、私の前でどんなに悪態をついても、好きな人間との抱擁とか、キスとか、セックスとかにはだいたい敵わない。だから意味はない。でも、その意味のなさを愛したい。まったくもって非生産的。それでいい。抱擁も、キスも、セックスも、できないわけじゃないけど、する必要がない、お互いしたいとも思わない、わたしにできるのは誠心誠意、丁寧に、真摯に、ありったけの愛を持って意味のないことをして、やっぱり意味がなかったって寂しくなって、ちょっと苦しくなるくらい。意味のなさに意味がある、それでいいんだって。最近はそう思える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?