一律じゃ裁けない


早く赤ちゃんが産まれて、楽しかったり大変だったりして自分から産まれたかわいい〜赤ちゃんのことしか考えられなくなりたい。と、思う。思ってしまってから、そう思ってしまえる超ウルトラの特権性にうなされる。うーんうーん。わたしが今こんなにハッピーなのは偶然でラッキーでぜんぶ生まれや周りや環境のおかげなのだ。

自分の考えるより善い人間でありたい、という気持ちの根底にあるのが「誰からも怒られたくない」っていう気持ちだったらどうしようと思って怖くなったりする。こんなに自分に向かって思考の矢印が向いている状況から脱したい。でもそれに赤ちゃんを使おうとするのは浅はかだな。ごめんね、赤ちゃん。待ってます。今日からいわゆる生産期になりもうした。

著者と10代の学生が、元受刑者や、事件被害者と対話する。著者の坂上香さんはノンフィクション映画「プリズンサークル」の監督でもある。

「全ての人の幸福」を考えたときに「加害だけが自分にとっての幸福だ」という人がもしもいた場合どうしたらいいんだろう。ということを何がきっかけかわからないけど、ここ数年ずっと考えている。この本を見かけて答えがあるかもしれないと考えた。

結論から言うとわたし自身の答えは出なかった。本のタイトル「根っからの悪人はいるの?」へのこの本のアンサーとしては(明確にこれが答えだ!とは書いていないけど。)他者を加害した人間の大半は生育環境に問題があり環境がその人をそうさせたため「根っから(生まれついての)」という意味では、いいえ。ということになると思う。

わたしが知りたかったのは、根っからの悪人がいるのか、ではなく、いたとして、その人はどう幸福になればいいのか。ということなのかもしれない。いないなら、いないでいい。いないでほしい。でも、いないのかも。悪人も善人も、被害も加害も簡単に反転するんだし。ひとつの社会においては根っからの悪人はいるかも。でも、他のコミュニティに移ったら、その人の言動こそ善かもしれない。

そう考えると、わたしはすごく怖くなる。絶対地獄とか天国とかないじゃーん。と思うからだ。だって、絶対一律じゃ裁けないよ。いい人生とか、悪い人生とか、そんなの国によるし、地域によるし、共同体によりすぎる。まああと宗教か。人殺しにだってコミュニティごとにいい人殺しとか悪い人殺しとかある。各コミュニティの善悪の基準で天国や地獄があるとは考えられないし、そう思うとかなり存在が危ぶまれるよね。死が怖い。死んだあとがあってほしい。とくに今生きている人生に悩みがないから、死後の世界の有無でこんなに悩めるのだ。本当にわたしは徹頭徹尾恵まれている。

ルシファー(ほんと最近ハマってる)のシーズン3 7話で、地獄に落ちるかどうかを決めているのは僕たちじゃない、抱えた罪悪感で自分自身で堕ちるんだ。出口の鍵は空いているのに。みたいなことルシファーが言ってた。それはそうかも。後悔も、罪悪感も、死ぬまでに少しでも濯げたらいいけど、きっと増えていく一方なんだろうな。

だけど、天国も地獄なくても、死んだら灰になって終わりでも、やっぱり優しくて親切な自分でいたい。

道行く救急車に向かって「助かりますように」と願うことで死後の内申点をあげていた、と友人のオリちゃんが言っていて、わたしも全く同じことを同じ動機でやっていたから、すごくシンパシーを感じた。徳を積みましょうって結局そういうことだよね。進学のために部活や生徒会に入るように、死後のために人に親切にする。なんのためでも、得られた経験は素晴らしいし、親切にされた人は嬉しいはずだ。中学で稼いだ内申点は使えるけど、今世で稼いだ内申点が死後使えるかはわからない。でも、せっかくだからこれからも取りに行く。とりあえずせっかくだからとか、そんなもんで、あまりギチギチにならないように。

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