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希死念慮について書いてみる/海外大学受験を終えて

海外大受験を乗り越えて、自己管理とかタイムマネジメントとか、自分の性格のいやなところの直し方を知ることができた。
でも、希死念慮への対処法だけイマイチ分からずに終わってしまった。

最近の私は、合格してうへうへ浮かれている。
このままだと、受験期いかに精神的にきていたか忘れて「え?海外大受験?よゆーよゆー」なんて抜かしちゃいそうな気がするから、忘れないように自分のメンタル面についても書いておこうと思う。

もうこの部分に関しては、自分の性格上避けられないもので、一生付き合っていかないといけない部分だと思っている。華々しい部分だけ覚えてて、苦しかったことを忘れちゃうような人間になりたくない。忘れちゃったら、次にそういうことがあった時・そういう人がいた時に対処法がわからないから。今年は海外大学志望生のメンター(先生的な?役割)をするかもしれないので備忘録的な感じとしても書いておこうと思う。

海外大受験については、これを得たい・これが得られるという狙いのようなものが自分にとってきちんとあって、それがきちんと得られた(またはこれから得られる)と感じているのでやったことに関しては何も後悔していない。
でも、自分の理想が高すぎる(上に人と比べがち)な性質が本当に強く強く出た経験でもあったと思う。
でも、正直自分のこういうのって性格より流れもある気がする。
ちょっと躁鬱ぽいじゃないけど、絶好調な時は本当に何があっても絶好調で、一回ダメなゾーンに入るともう何をしても抜けられないから終わるまで心の中の自分のリードを引いて崖から落ちないようにしてあげないといけない みたいな。

もうタイトルからわかるけれど、くらーい話なので今絶好調のエンパスの人は読まないように。

【結論】私的、死にたい気持ちへの対処法

気の赴くままにグロい絵を描く、曲を爆音で聴く(これは過敏性腸症候群にもある程度効く)、テトリスをする(これは、とりあえず気持ちはおさまるけどあんまりスッキリしない)、腕をきる(痛い、人から心配されるのであまり良くない)、戦争体験した人の話を聞く・読む(自分のエンパスの部分を使って、今の自分より過酷な体験を自分自身に感じさせる)

もう無理やーーーってべしょべしょに泣いちまう日に効くことリスト
もうこういう時は無理に好きなもの見てあげようとする方が無理なので自分の汚い部分を絵なりなんなりでバーーーーーっと出したり浴びたりするのが落ち着く。
終わるまで待とう。どう考えてもヤバかったらお医者さんのところに行こう。

【希死念慮やばやば第1期】7月

サマーキャンプに参加した時。
海外大学生の人と、海外大学志望生が集まるキャンプ。

Youtubeで白川寧々さんという方が事前に言っていたのは聞いていたけれど、あそこには本当に真の天才みたいな人が多い。で、寧々さんが言っていたように私はその人たちを見て落ち込んだ。
その時は英語も今よりもっとずーーっと話せなくて。そんな中で東京⇄海外みたいな暮らしをしている子が、話の流れで「えーっとなんだっけ。driver license??(めちゃ発音良)」といった瞬間私は自分の英語のできなさに悲しくなって泣きそうになった。で、そのままそこの話をしていた3人グループから「ごめん水飲んでくるね」と言って抜けてきてしまった。

メンタル脆すぎん???と思うかもしれない。私も今書いててそう思う。
でも、その時はまだ英語のスコアも取れていなくて、英語の勉強も始めて4ヶ月も経ったのに全然伸びを感じていなくて、英語が話せない自分というものに相当焦りを感じていた。
今は「4ヶ月でベラベラだったらそれは語学の天才っていうんだよwww」ってめちゃ冷静に突っ込めるけどほんとに当時は早くスコアメイク終わらせなきゃ早くスコアメイク終わらせなきゃ早く早くはやくおわらせなきゃはやく みたいな。ちょっと病的だった。

この水飲んでくるね脱退事件が初日の3時間目あたり。もうここら辺から異常だった。
みんな、ニコニコして友達と話してて、私はそれをみて「え、本気で受かりたいのに人とそんなに話してて大丈夫なの???あ、そっか みんな私より頭いいのか 私は人一倍頭悪いからいっぱいいっぱいやらないと、、、」みたいな感じで集中する人専用部屋みたいなところでずっとエッセイを書いていた。
たまにメンターの人が話しかけてくれて、ちょっとしたそういう気遣いに救われていた。

そんな中、3日目くらいで1人のメンターさんが「受験期自分はよく泣いた 本当に波瀾万丈だった」と自己紹介の時に話していたことを思い出して、よく泣くところがなんか自分と似ているな と思って相談に乗ってもらえないかお願いしにいった。相談にのってくれることになって、旅館の、もけもけになったフェルト生地みたいな廊下に体育座りをして話をした。
その人との相談の中で、〇〇さんに話聞いてもらうといいかも と言われてその○◯さん(面倒臭いからAさんにする)と話すことになった。
そういえば、余談だけどAさんを紹介してくれたメンターさんとの相談の後号泣した。泣く場所がなかったから、自分が泊まってる5人部屋に戻って1人でキモイくらい泣いた。
その日の夕方だったか夜だったかにAさんを見つけて話すことになった。
Aさんは普段は中東で日本人の子供に敬語などの日本語を教える仕事をしているらしい。
私が悩んでいたことについて、Aさんは神様みたいにスラスラ解決法を教えてくれた。初めて聞くタイプの解決思考法だったのでどうやってその考え方をしているのか聞くと臨床心理学だよ と教えてもらった。
最初の2個の、大きな質問にスラスラ答えてくれたことに感動して私は他の困っていること、奨学金のことも聞いてみた。
質問の最中、「私は奨学金をもらえるに値する人間なのかどうか分からない というか生きてていいと思える自信がない 私って生きてていいんですかね」と聞いた。聞いた、というか普段頭の中で思っていることが口をついて出た。
答えを聞くのが怖くて、自分の頭でもう決まりきった答えがあって、言ってしまったことにバクバクしていると、Aさんは「いいんじゃない みんな生きてていいよ だって…」と話し始めた。その時、その言葉を聞いて、奨学金を、お金をいっぱいもらった人でもこんな考え方ができるんだ とか あーそっか、生きててもいいのか とか色々込み上げてきてぶあーっと泣いてしまった。話を聞いてもらっていたのが大広間で、周りにいっぱい人がいて、私はみんなの前で泣きたくなかったから「ありがとうございます ありがとうございます」って言って、泣き止むのを無理やり止めつつAさんが生きてていいと思う理由を話そうとしているところを遮ってしまった。そのあとは、いかに自分が泣き虫で、泣いているのをやめたいか、なんで泣いているのか、理由も分からないまま泣いていると母に問い詰められて、それで答えられない自分が嫌なんです どうやったら泣かなくなりますか と違う方法に話を進めていってしまった。
「ああ、あの人の考えを聞いてみたかったな 普段中東にいたら滅多に会えないし、今年もそのキャンプにいるとは限らない あの時聞いておけばな」と後悔をしている一方で、そこだけはずっと自分で苦しんで自分で答えを見つけなければダメな気もしている。

【希死念慮やばやば第2期 奨学金エッセイ執筆時】

ここが1番やばかった。
まず、給付型奨学金という仕組み。言いたいことも、やっていることもわかる。
私は引き寄せの法則を割とガチで信じているので、何か、やりたいこととかなりたいものがあった時にはその時の様子を隅々まで、日常の中で何回も何回も頭の中でイメージするようにしている。時には、なった後の姿になりきって生活することもある。

それで、奨学生になった後を想像したりそうなったつもりで過ごすようになった。
そしたら、寝ても覚めても「自分は4000万円分の価値を社会に還元しないといけないんだどうしたらそれだけの価値を喜びを返せるかなわからないなどうすればいいのかなこんな振る舞いこんな考え方こんな趣味、高額な奨学金をもらっている人らしくないよなウンヌンカンヌン、、、」とずっと頭がフル回転するようになり、しまいには絵が描けなくなった。美術っていうくらいだし綺麗なものが描きたいのに、線の集合体と点の集合体しか描けなくなった。基本的に病んだ時に描く絵は苦しんでいる人の絵が多いのに、こんな抽象的なものしか書けなくなるのは初めてだったので相当焦った。
当時の絵がないかキャンバスを探してみたけど、なくなってしまっていた、本当にやばい絵だったのできちんと保存しておけばよかった。多分何回も書いてキャンバスごと消してを繰り返したのだろう。

お金というものに関して、私は、夢を叶えるゾウか何かで読んだ「お金は、幸せに関わった広さ分入ってくるものだ」という考え方が好きだ。好きだっていうか、この考え方を信じている。
あーーだから資本主義社会の中ではどれだけ1人のお客さんを喜ばせた店員さんよりもビジネスを作る側(多くの人の幸せに関わるものを作る側)が儲かるのだなーとすごく納得したのを覚えている。
お金持ち1人を幸せにすれば、それは1人分だけど儲かるよ?と思うかもしれないが、そのお金持ちが結局有名シンガーだったり資本家だったりで広くに関わっているから結局広い幸せに関わった人がお金をもらっているんだ。

じゃあ、その資本主義の仕組みの中で給付型奨学金てなんなのか。
芽が出そうな子にお金をあげる、投資だ。
投資してもらったからには、頑張らないといけない。
でも、18歳で4000万円もかけてもらったら、私だったら、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと死ぬまで、4000万円分の価値を自分は出せたか、自分はその価値に値する人間なのか、その価値に値する人間にならなければって思ってしまう。(というか奨学生になったつもりで生活してた時ずっとそれだった)
私にはとても耐えられなかった。ずっとずっとこの考えがぐるぐるしてて、そんな中で「奨学金受かるんでしょうねー?」とか「うからなかっったら留学行かせないからね」「本気でやってるの?」という母の顔と声が寝るまで脳内に出てきてはぐるぐるぐるぐるしてて頭がおかしくなるかと思った。学校に行っていなくて、ずっと家だから気分転換も何にもなくて、それもずっとぐるぐるしちゃう原因の一つだったと思う。ブックカフェに行った時だけはその声がなかったので受験の他のことにも集中できた。だから、最後らへんはよくブックカフェに行っていた。

途中で、自分の精神は奨学金を受けられる器がないんじゃないんじゃないかとふと思った。だって、頭おかしくなるもん。あんなの。天才じゃないと、あんな大金もらってのびのび留学できるわけがない。それか私が小心者なのかな。
現時点から将来の姿まで、気味が悪いほど綺麗に繋がったエッセイを出し終わった後。あんなに美しい将来像を書いたのに、なんかお腹の部分にズレを感じた気がして最後の1校の出願準備を進めながらずっと自分の将来の姿を考えて、思い描いていた。
奨学金のために奨学金のためにっていう考えをパーーーーって手放してみた時に、「あーニューヨーク行きたいなー」と思った。高2の年の冬に思ったこと、感じた感情と全く同じだった。それが、奨学金うからないと 未来と今の一貫性をとか考えているうちに第1志望校が田舎の、アニメーションで有名な大学になっていた ああそうだ、思い出した 人が描きたかったんだ 都会で、色んな肌の人を、色んな個性の人をえがきたかったんだ そうだそうだ って。それで母にやっぱりニューヨークがいいかもなんて言ったら怒られた。その日は英語教室が弟と入れ替わりであって、泣きながら教室に行った。弟と道ですれ違った時、泣いてるのがバレたら困るから遠回りをして泣き止んでから行った。すれ違った時に「先生心配してたよ」と言われて、先生にも怒られちゃうかな って思ったけど先生は私をみて(目元が腫れていたのかな?)何も言わずに授業を進めてくれた。 

たくさん直して、最後にメンターの先輩に見てもらったエッセイは、書類審査にも通らなかった。


おわりに

書いてて思い出してお腹が痛くなってきた。可哀想に、、、
でも、これで「ああ海外美大?😎いや〜ね〜まあ私にしてみれば割と簡単だったよねぇ」なんて舐めたことを言ってしまう未来が潰せたのでよかったと思う。
2つの特に精神的に厳しかったエピも書いたけど、これで得られた人脈とか人生・夢に対する価値観とか考え方もたくさんあるからきっとこのタイミングで直面することになって正解だったのだと思う。

最近新しいバイトを始めて(というか年上の人と話すと結構な確率で)、異様なほど落ち着いてるね とか大人っぽいねって言われるけどこんなに死生観とか人生観について考えてて( ᐛ👐)パァって顔してたらそれはそれでやばいんじゃないかと思う。

ではでは本当に最後に、この話を10年後とかに見返して大声あげて笑っていられる自分になっていますように。
それではまたーーー(ネットのタイムカプセル)

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