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キムタクはいつまでも輝いている

私には忘れられない選手がいます。


ファンからキムタクと呼ばれていた木村拓也という選手は芸能人のキムタクとはタイプが全く違う選手でした。
チームの中で1番人気でいつも目立つようなカリスマ性が溢れる選手ではないけれども、ファンにとってはいつまでも忘れられない大切な選手。
彼は間違いなく私にとって1番かっこいいキムタクです。



キムタクの代わりはいない

現役時代ピッチャー以外の全てのポジションを守ることができるユーティリティプレイヤーとして活躍した彼は幾度となくチームのピンチを救ってくれました。
キムタクが誰かの代わりなることはあってもキムタクの代わりになるような選手はいませんでした。

なかでも忘れられないのはキャッチャーとしてのキムタクです。



キャッチャー木村拓也

2009年9月4日
巨人ーヤクルト戦
ベンチ入り最後のキャッチャーだった加藤選手が延長11回に頭部死球を受け、チームは混乱していました。
キャッチャーがいないという緊急事態でチームに動揺が走るなか、彼が何も言わずにブルペンに向かったという話は最高にかっこいい話として私の心に深く刻まれています。
そしてキャッチャーマスクをつけてグラウンドに現れた彼は見事キャッチャーとして1イニングを抑え、チームメイトが待つベンチへと戻っていくのです。
その姿はまるでギリギリのピンチを救ってくれたヒーローのようでした。
あの時の原監督の喜びの中に安堵が混じったような表情はいつまでも忘れられません。

その年、彼は選手人生で初めての日本一を経験し、たくさんのファンに惜しまれがら18年の現役生活に幕を閉じました。



突然の別れ

そんなファン愛されていた彼はある日突然私たちファンに別れを告げて天国へ旅立ちました。
コーチになってすぐのことでした。
この日は古巣カープの本拠地マツダスタジアムでの試合でした。
試合前のシートノック中に突然倒れ、意識不明のまま救急車で病院へ運ばれた彼はそのまま帰らぬ人となりました。
彼の家族にとってもファンにとっても突然の別れでした。
当時まだ小学生だった私にはとてもショックな出来事で、同じジャイアンツファンである父と一緒に悲しみに暮れました。



キムタクの追悼試合

彼には家族ぐるみで付き合っていた同級生がいました。
谷佳知選手。
そう柔ちゃんこと谷亮子選手の旦那であり、現役時代ジャイアンツとオリックスで活躍した選手です。
そんな親友である谷選手のキムタクの追悼試合での1打席は今も多くのファンの記憶に残っていることでしょう。


2010年4月24日
東京ドームで行われた巨人ー広島戦
巨人が1点ビハインドで迎えた8回裏、1死満塁のチャンスでコールされたのは彼の親友、谷佳知選手でした。
代打として登場した親友は外寄り高めのストレートをフルスイングし、左中間へ逆転満塁ホームランを打ちました。
打った瞬間ホームランを確信したかのように走り出した谷選手。戻ってきた谷選手をよくやったと言って迎えるチームメイト。オレンジのタオルを回し、キムタクの背番号0のプラカードを高々と掲げるファン。
もちろんこれだけでも十分に名シーンなんですが、さらにこの時の実況がこのシーンをより感動的なものにしました。

「天国から木村拓也さんが笑っています」
この言葉を聞いた時、とても納得したのを覚えています。
彼はきっとお立ち台で泣いている親友を、泣いている親友に声援を送っているファンを天国から微笑みながら見ていてくれたことでしょう。



最後に

私はジャイアンツファンなのでジャイアンツのキムタクしか分かりませんが、きっと彼はどこの球団にいようとファンからとても愛される選手だったと思います。
誰でも知っているようなスター選手ではなくても、野球ファンなら彼がどれほどすごい選手かわかると思います。

野球が大好きで仲間思いで家族思いな彼はいつまでも私の記憶の中で輝き続けるでしょう。





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