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幸せだと死にたくなる変な癖、のお話

最近、元々好きだった「明日、私は誰かのカノジョ」を読み返している。

美容整形にハマりキャバクラで稼ぐ女、ホストにハマって風俗で働く大学生、真面目にバイトで学費を稼いでいたけどふとした事がきっかけでパパ活で稼ぐようになった大学生…色々な女の子の生活を描いた有名な漫画だ。(たまに男性が主役の回もある)

わたしはパパ活も風俗も経験はないが、この主人公たちの「きっかけ」は男女問わず誰にでも起こり得る、寧ろ経験しているような出来事だったりで読み始めるとのめりこんでしまう。
「わかる!」となってしまうのだ。

描かれているのは決して遠い世界ではない、身近な感情。わたしは特に「What a Wonderful World」という章が好き。この話は最後に主人公の意識が変わってとても前向きな話だ。自分の生き方に躓いている人「どうしてこうなったんだろう」と思っている人には是非読んで欲しい。きっとほんの少し他人を思いやる気持ちが生まれて、やる気が出てくるのではないかと思う。


さて、ようやくタイトルのお話。
これを読んでいる皆さんは幸せな出来事があった時、どんな感情を抱いているだろうか?
「幸せだったから明日からも頑張ろう」「頑張りが報われた」等だろうか。

わたしはいつも、「このまま時間が止まればいいのに」が一番先に来てしまう。この後の時間、生活が今の幸せな時間よりも下る事がわかっているから。
今の、たった今、幸せな瞬間に死んでしまいたい、と思うのだ。

帰りの飛行機が落ちればいいのに。バスが事故ればいいのに。とんでもないことを考える。(しかも他人任せ)
いつもこの話で思い出すのは、野球選手の追っかけをしていた頃。
10月末、行こうと思い立って急遽向かった宮崎でのフェニックス・リーグ、それはそれは幸せな時間だった。大好きな選手と球場内のコスモス畑で出くわして2人きりで話しができたし、向こうから話を振ってくれたりもした。場所柄、ファンも少ないから周りを気にせずゆっくりした時間で会話して、ツーショットも、試合の写真もたくさん撮れた。本当に幸せだった。

帰り、空港に向かう高速バス、飛行機の中で何度も考えた。これ以上の幸せはない、今この瞬間に死ねたら幸せな気持ちでいっぱいなのに。
帰ったら面倒な仕事が待っていて、きっと追っかけをする上でもしんどいことも待っていて、ずっと幸せな時間ばかりではない。それなら、それなら。

当時のわたしは本気で思っていた。間違いなく思っていた。その瞬間のことが鮮明に思い出せる程、しっかりと思っていた。


でも違った。

あれからもう7年が経って、わたしの人生は彼一色ではなくなった。あの時とはまた違う「楽しい事」に出会えた。その「楽しい事」は意外と簡単に足を運べて、昔のわたしとは違い接触しない楽しみがあることを覚えた。寧ろ接触しないで外側から見ているほうが余計な事を考えすぎずに楽しめる事も知った。

「死ななかった」からこそ知ったのだ。「幸せすぎて今死んでしまいたい」と思った瞬間の気持ちは嘘じゃないし、その後確かにしんどいことも泣いた事もたくさんたくさんあって逆の意味で消えてしまいたいと思うような事もあったけれど、それでも「死ななかった」わたしは別の「幸せすぎて死んでしまいたい」と思えるくらい楽しい事に出会えたのだ。

大人になったわたしは知った。めっちゃだるいことがあっても「この時間が一生続くわけじゃない」ことを。
もうひとつ知った。「死んでしまいたいくらい幸せ」なことはまた起こることを。
それは「生きている」からだということを。


生きていれば意外と簡単にそれは起こるのだ。
生きているから。生きているから。


生きていればお腹が空く。空腹は最高のスパイスと言う。そんな状態で食べるご飯は本当に美味しい幸せになる。
それは生きているからだ。

死を考えるイコール、生きるを考えるということ。
生きてりゃ何かある。美味しいお酒やご飯でほっこりしたりもある。お風呂あがりの炭酸水めっちゃうまい。そんな時間でいいじゃん、死にたいほど幸せなことがなくても。幸せには間違いない。


昨年、誕生日にNGK最前ど真ん中でネタを見たときに久しぶりに「このまま時間が止まればいいのに」「今死にたい」と思った。

が、10月に「世界で一番ラブいやつ」を見たときも「このまま時間が止まればいいのに」と思った。
死ななくてよかった!と心から思った。
人生って、そういうことだ。


TOP画像は例のコスモス畑。
久しぶりに見ても胸の奥がグッッッてなる。
春季キャンプ行きたい。



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