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20240415【定点観測】

朝ごはん、ヤオコーのおはぎ。
数日前に買って、食後のおやつにしようと思ったのにおなかいっぱいで食べられなくて冷凍したやつ。
レンジでちょっとあたためる。
ほかほのおはぎもうまい。
昨日はずんだ、今日はあんこときなこのやつ。
うまい。ペロッと食べてしまう。
朝からモリモリ食べておいてどうかと思うが、昨日、今日となんだが体がずっしりと重い。

それでも、今日は絶対にヨガに行くと決めていたので朝のうちに2度の洗濯。先週のお花見でつかったレジャーシートをお風呂場でせっせと洗ってそれもベランダに干す。
ダスキンの回収日だったので、窓を拭いたりエアコンの上の埃だらけゾーン
を拭いたりして今月のダスキン君に最後の大活躍をしてもらう。
朝からよく働いて気持ちがいい。怠惰な自分なので、朝から家事をテキパキできた日はとっても気分がよいし、働き者モードの自分は好きになれる。

予定通り、午後イチでヨガへ。
通い始めて約1年。いまだ初心者マークのついたクラスばかりを受けているのだが、今日は珍しく一つ上のクラスへ。
相変わらず、自分の体の思い通りにいかなさに笑いながら、そして足や腕をプルプルさせながら1時間ちょっとのクラスをやりきる。

気持ちがよい。
帰り道、葉桜のトンネルの中を自転車で走りながらなんて気持ちがいい日なんだ!と思う。思うのに、どうにもこうにもずっしりと体が重い。

頭の中を、黒いカタマリがずっしりと占拠している。

***

土曜日、お正月ぶりに両親に会った。
わたしは、いつも両親に会うとどっと疲れてしまう。
今回も、もれなく。

母親のお祝い事で、すこしいいお店でランチを食べて、終わりかけの桜を見ながらお散歩。
ケーキをたらふく食べて、またお散歩。
なんだかんだでいい時間になったので、軽めの夕食を食べて解散。

今回も、一日中楽しくおしゃべりして、大いに笑い、思い出話からそれぞれの近況報告まで、すこしも険悪なことなどなく時間を過ごすことができた。
だいたいはいつもそう。それなのに、である。

わたしの心は次第に曇り、重たい気持ちに占拠され、自分を責めたり親を責めたり、すっかり疎遠になってしまった兄を責めたりを何周も何周も繰り返す。そんな風に思ってしまう自己嫌悪で、内臓がもったりと重たくなる。
両親それぞれの嫌いなところを煮詰めて濃縮させたものを自分の中に見つけて絶望的な気分になったり。
かと思えば、今のわたしの年齢の頃には高一男子と、小四女子をほぼワンオペで家事とパートをこなしながら毎日一生懸命ご飯を作ってくれ、私のとまらないおしゃべりを何時間でも聞いてくれた優しい時間を思い出し、感謝と愛情を再確認したり。
その後、父親のクズっぷりにより母親の理想の形からからガラガラと崩壊していく家庭を、必死につなぎ止めようと死ぬほど一生懸命だった母が、今私の女友達だったらと想像して脳内で声をかけてみたりする。
そんな男とは別れて新しい人生を歩めばいい、と言いかけて、そんな無責任なこと言える?とか躊躇して、結局、友人としてわたしにできることは本当の意味では何もないよな、と諦めたり、頑なな彼女(母親)に意見やアドバイスをしたところで堂々巡りで面倒くさくもなる。

(実際に、相変わらず家族は一応家族の体をなし、集まればいつもそれっぽく、まさに体をなさせるのだ。惨めでバカバカしいけどそれが私の家族で、イチ抜けした兄の分、私が稼働している)

数日間、こんなことの無限ループを繰り返し、疲弊してきた頃、
最終的にすっきり片付かないままの引き出しを、見なかったことにしスッと閉めるように、いつか断捨離しなきゃいけないのよねーわかっているけど忙しくてなかなかねっという風なふりをして、しまい込む。
20代のころからこの繰り返しだ。

このまま40歳を迎えるのだろうか。


しかしまあ、
どんよりしようが、黒いものに頭が占拠されようが、母親の不幸を勝手に背負って押しつぶされそうになろうが、今日のわたしは、朝からおはぎを食べて洗濯も掃除もして、家計簿までつけて、ヨガもいって。

夫が喜ぶお昼ごはんも用意して、夜ご飯も作って、最高じゃないか。

それに、今日は夫の天然口笛も聞けたし!!この上なくいい日である!!!!
(夫は自宅で仕事をしているのだが、たまに無意識で仕事中ごきげんな口笛を吹く。この口笛を、わたしは天然口笛として観察していて、これが聞けると最高にうれしい気分になるのだ。なお、本人は知らない)

こんな風に、日々の生活を前にすすめる。
どんよりに覆わせないで、目の前の大切な日常を生きるしかない。

そして、体力気力が申し分ない時に、引き出しを開けて少しモノを捨てたり、別の引き出しにいれたり、持ち主に返したりするのだ。