アメリカン・フィクション【映画の感想】
アメリカン・フィクションめちゃくちゃ面白かった!!
夫と一緒に、ゲラゲラ笑いながら観た。
死や老い、孤独、家族という呪い、社会の差別や偏見というヘビーすぎるテーマがこれでもかと詰まっているのに、不謹慎、下品、ドラッグ、ブラックすぎるユーモアにより、触り心地はドライで、どこまでも笑えてしまう不思議。
音楽も衣装も風景も、すべてがおしゃれで、海嫌いのわたしがうっかり海沿いに住みたい!と思ってしまうくらいに素敵なロケーションであった。
光、風、色彩、ファッション、画面に映る全てが好きだった!
それに、シームレスにあっと驚かされるような映画的な仕掛けもあったり(原稿執筆場面とか、最後の授賞式の場面とか)サービス精神も満載で楽しませてもらった。
全体を通した、皮肉とユーモア、不謹慎と不器用と誠実、そして諦め。
画面のおしゃれさ(としか言いようがない!おしゃれなんだもん!)とシーンの合間に挟みこまれる街や風景の美しいショット、色彩と音楽。軽やかさと黒すぎる笑い。観ながらずーっとウッディアレン味を感じていた。
ちょうど数日前に、大大大好きな映画、ミッドナイトインパリを久しぶりに観たせいかしら。
あー、大人のいい映画観てるーー!最高ー!という感じが観ている間も観終わったあとも続くいい映画でした。
大根仁氏が、(10代のころ、彼の脳天日記というブログでどれだけのカルチャーを学ばせてもらったことか!!)ミッドナイトインパリ公開時に、「この脚本、一晩で書いたんじゃねえか?」というような褒め方をしていて、なんと的確な!と思った覚えがあるんだけど、それに近いような感覚を覚えた。
主人公モンクのファッションは、落ち着きがあって、こぎれいで超おしゃれ。靴もチノも、ポロシャツもサイズ感も色合いも完璧に似合っている。
(シャツとチノの感じも、ミッドナイトインパリのギルと似てたね。つまり、文系インテリのスタンダードなファッションということよね)
オックスフォードのボタンダウン、夫にプレゼントしよ~、とか、デザートブーツやっぱり一足はいるわね、とか、やっぱり茶色系のセットアップめちゃかっこいいやん!(若い頃、夫に奮発してプレゼントしたが数回のみ着用した後激太りにより着用不能に)とか、メンズ服好きとしては忙しかった。
彼なりのストリートファッションを見せるシーンも、精一杯のストリート感がこれかよ!という根っからの堅さが妙におかしくて、たまらなかったなあ。
それに、ワルイ黒人を演じる彼の、慣れてなさ、肩を揺らしながら探り探りそれっぽく発声してみる滑稽さとか、ほんと上手だったなあ。
あとは、お兄さんとお姉さん(あれ?妹?)の、性や欲望に超開放しすぎてる、突き抜けた愛すべきキャラが最高であった。
兄の幼少期からの孤独や葛藤たるやすさまじいものがあるだろに、ヘンテコな柄のシャツ、鼻から白い粉吸いすぎ問題!!により、妙に爽快感とやけくそな明るさがあって、哀しくもおかしい素敵なキャラであった。彼には幸せになってほしい。
お姉さんの最期も最高。ボトックス打ってると思われてて、わたしは最高!とか、だれそれとコトに及んでる最中に死んでるといいなとか、マジ最高!!
ああいうユーモアとサービス精神、幸福観で生きたいものだ。
好きなシーンは数あれど、車の中で、ロレイン(お手伝いさん)が結婚する報告をしたときのスリーショットは美しかった。
あと、その結婚式のシーンは言わずもがな。超絶ダッシュでブーケトスをゲットする兄の愛おしさ。
その夜、音楽とお酒と海風とダンス、あのシーンの多幸感といったら。
ゲイのメンズ2人と踊りまくるママの幸せそうな表情も最高だったし、
思わずわたしも踊りだしてしまったぜ。最高!フーー!!
そんな時にも、静かに微笑んで、乱れることなくみんなを少し離れたところから見ているモンクは、確かにみんなが想像する黒人らしさを感じさせないかもしれない。
細部の皮肉は数え切れないほどあったし、アメリカの文化や、黒人問題について不勉強な自分には気づけないところもたくさんあっただろうけど、
文芸賞の多数決で白人が、今こそ黒人の声に耳を傾けるべきなのよ!!とか声高にいいつつ、目の前の黒人2人の声を完全に無視してるとことろか、
もうひでえな!って感じだけど、まさにああいうことなんだろな。
最後の着地、ファックとしかいいようのないひどさよ。ブラックすぎるぜ。
映画内で、モンクが何度頭を抱えていたか。諦めの連なり。哀しさとおかしさ、これがアメリカなのかも!
リアルで生々しい~、底辺を味わったからこその力強い表現云々という白人側の傲慢な視点というのは、まさに私も持っているかもしれない傲慢さで、
例えば、大好きな日本語ラップ界隈に向けている自分の視点にも言えるかもしれぬ、とか思った。
この話はまた別に書くとするけど、日本語ラップもそうだし、是枝作品についての好きさ(超好きなのです)についても、私の中の欺瞞みたいなものがなんとなくずっと心にひっかかっているのである。(以前に大森立嗣監督のmotherを鑑賞した際に、近しい人から俺は(万引き家族と比較して)motherが素晴らしい、いい映画だったと言われたことを思い出す。
是枝作品は、本当の貧困や機能不全の家族から離れた場所から描いている気がするがmotherは自分が本当に見た世界だったというようなことを言っていたのがいまだに心に残っているのだ。このことは、いつか自分の中で整理したいと思って寝かせている)
あと、最後のアジア人の彼と白人プロデューサーのくだり、結露云々のところで、ああ、アジア人を最後のこんな場面でさらりと入れてくるかね、とうならされた。アカデミー賞の授賞式のあれこれも想起させられて、これこそ皮肉にも現実とリンクした感じがした。
とはいえ、わたくしは海外に行ったこともない、英語もわからない、外国人のお友達もいない、狭小世界で生きてきているので、人種差別云々について肌身で感じたこともなく、勉強不足でもあるので、あれこれわかったことは言えないのだが。
まあ、何にせよめちゃくちゃ面白かったー!
映画の感想もそうだけど、自分の好きなものの好きさとか、嫌いなものの嫌いさとか、言葉にしたり、整理したりする習慣を作りたいので、この場を借りて都度書いていければという所存!
関係ないけど、わたしは好きなものを、超好き!とか超超超好き!!とか、
大大大好き!!とかいう表現をしがちなのだけど、これは好きなものの前には語彙なんかどうだってよくて馬鹿みたいにただただ超好きだんだぜという想いがこもっているのかもしれぬ、と今思った。
好き好き大好き超愛してる、の影響かもね。覚書。
以上!