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宮台真司という通過儀礼からの卒業

GWの終わりにコロナワクチンの3回目接種をした。
1、2回目はさほど大きな副反応もなく何となく腕痛いな…ぐらいで終わったモンだから油断していた…。

めっちゃ発熱して腕痛くて頭痛がして…辛かった。
まだ少し痛みはあるけれど峠は越えたようだ

副反応が出ている最中、子供の世話や家事を旦那にお任せして(旦那ありがとう、愛してるよ)久しぶりにAmazon musicでDOMMUNEを聞いていた。

宮台節が炸裂していて痛快だったし、時折目線を変えたり戻したり寄り添ったり、と思えばビンタされたりするようなダースさんのMCがやっぱり面白いと改めて思った。

映画『真夜中乙女戦争』への言及がされている
私は観ていない、予告編だけ見た。番組内でもあったが「ファイトクラブの劣化版」「ファイトクラブの足元にも及ばない」などが発言されていた。
宮台さんは「(ファイトクラブの絶望と比較して)お前らの絶望はその程度なの?話にならないね」と真夜中戦争乙女で感動しているであろう若者達に語りかけている。

そこで思う。「きっと、その程度なんだと思う」
私達は宮台真司さんから見たらその程度なんだろう

宮台真司さんが好きで色々なメディアで発言を追っているのだけれど彼の主題は「社会構造の変化から身体的な体験が極度に制限された事によって、人間性、感情、倫理感、性愛が世界全体で見て劣化している。ひいては社会が劣化し構造的に成り立たなくなっている。そしてそれに誰も気づかず、危機感を持っていない」という事だと思う(足りない所は沢山あると思います。)

そう、私達は身体的体験を制限されて純粋培養的な環境で育ってきてしまった。身体を取り戻したくて一時期、リスカや露悪的な表現の漫画やアニメが流行ったりもした。そんな世代

そんなひ弱な子鹿ちゃんの私達に宮台さんは有無を言わさず「クズなんだよ死ねっ」と言ってくる。

真夜中乙女戦争で感動している純粋培養された可愛い私達に「即死っ‼︎」と言ってくる

私達はこれに対してもっと怒っていいと思う。

私達は自分達が好きで「子鹿ちゃんでクズ」になった訳じゃない。選んだ訳じゃない。

気付いたらそうなっていたし、それである程度の小さな幸せも見出せるだろう。私達は私達なりの幸せで生きていけるだろう。ほら、今日もTwitterやインスタに面白い投稿がされてクスッと笑える…


本当に?

自分達のせいじゃ無くても

今の社会、会社、家庭、学校、SNSの中の幸せだけで本当に幸せなんだろうか?

属している社会、会社、家庭、学校、SNS、世界そのものが劣化して崩壊に向かっているのだとしたら?

その中での幸せって意味あんの?感性が感情がクズになってんじゃねぇの?スマホから視線を外して周りの景色見てみろよ、お前が思っている世界なんてほんの小さな領域でしかねぇぞ


と、ここまでの気付きをくれるのが宮台真司さんだ

この手のメッセージは色々なコンテンツにもあるし、これに気付いた時の爽快感は半端ない。何に退屈してたんだと思う。

ここまで考えて思った事があった。
「クズになっている」という表現を使って煽って気付きを施している宮台さんに自身に対しての「じゃあ、俺はどうなんだ?」という視点が無い訳がない。

もしかしたら、宮台さんの上の世代から見れば宮台さんの経験している絶望や身体的体験だって「その程度」と言われてしまうのかもしれない。

常に前の世代を超えられない

宮台さんは1959年生まれだ
親の世代が高度経済成長期世代で少し上の世代が全共闘の世代になるのかな、自身はバブル期世代といって差し支えないと思う。

私の父親と同世代だ。

私は時代を知らないので想像でしかないが、激動の時代を生きてきた前世代からみれば、宮台さんの世界ですら小さく見えてしまうのかもしれない。

きっと宮台さんはそれを自覚しているし、私達ひ弱な子鹿ちゃん達にクズと言いつつ、帰す刀で自分も切っているのだと思う。「前世代から見れば自分だって大した事ないんだ」と

彼は傷だらけになりながら私達に「気付き」をくれているのだ

「気付き」には痛みを伴う

実存する通過儀礼的な物もそうだけれど、世界観が変わるような「気付き」には痛みを伴い、何かを失って何かを得る。

これが何となく解っているから自分という殻から出たくない。弱いままの自分を、ありのままの自分を受け入れてほしい…となる。

最近、上記のような叫びを映像化したようなアニメのエヴァンゲリオンが終わった。

私達もそろそろ卒業しなければ

視座を変える

話は変わるけれど、痛みと対峙する時に便利な手法でDOMMUNEでも語られているけれど、物事を考える時に視座を変えてみると俯瞰して見れて捉えやすくなる。所謂、メタ視点てヤツだ。

自分達の世代、宮台さんの世代、それより前の世代

想像してみる事で宮台さんの発言への理解の深みが変わってくる。上に書いた世代とは別にダースさんの世代から見た両者という視座もある。ダースさん個人の視座もあるしメタのメタのメタ…俯瞰で見ると心が少し軽くなる。

宮台真司(父親)からの卒業

人物になりきったり、視座を変えて見たりすると今まで対立構造でしか無かったような世界が急に変わって見えてくる。

当たり前の事のようだけど、実感としてこれを習得した時に私は父親を許せたし、尊敬できたし卒業できた気がした。

今の若い子達は反抗期がない子が7割近くいるらしい。

反抗するほど抑圧する動機のある大人が周りに居ないのが原因とか……

「真夜中乙女戦争が大好きです!感動しました!」

とか何でもいいけど自分の好きな話を大声でネット上やリアルでも声をあげれば、心ある大人が「いや、その程度で感動してちゃ…」と抑圧してくる。

その抑圧にどうか、怒ってほしい

対立して対決して、理解して意気揚々と卒業していければよいのだと思う。

前世代を越える必要はない、論破する必要もない、想像して、学んで卒業して行けばいいんだと思う。


そんな事を副反応の痛みを腕で感じながら思った。

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