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ただの結婚ですので…

結婚をした。

まさか自分が、という感覚はまだあるけれど、役所に届け出てからはや1週間。

いつだったか、上野千鶴子さんが対談かなにかで「結婚なんてするのは、そうでもしないと相手をつなぎとめておく自信がないんでしょう」とお話しされてたような。私もずっとそう思っていたし、今もそう思っている。結婚なんてしなくても、男とつがいになんてならなくとも、パートナーはその都度必要であればみつけて好きなように一緒にいる。国につがいを届け出る必要なんて一切合切ない。結婚なんて絶対にしたくない、と思っていた。

それでも私は、恋人がもう本当に好きで好きで一緒にいたくて仕事もやめて東京にほぼ身ひとつで来た。こんな素晴らしい人を好きになるのは自分だけのはずがない、自分だけをこの先もずっとみていてほしい、と強く思って結婚しようと自ら申し出た。相手をつなぎとめておく自信がなかった。私たちはお互いにとって唯一無二の存在であると胸を張って言えるけれど、この先にどんなことがあるかは誰にもわからない。ちょっとやそっとでは揺らぐことのない約束が欲しかった。

もちろん、不安だから、自信がないから、とそれだけではない。恋人が苦しい時には私が家族として助けたい。経済的な事情もある。今はいい。お互い経済的に自立しているし(私は無職だけれど、ちょっとした貯金がある。貯金がなくなる前には働くことにしている。自転車操業の人生に突入。)、お互い健康に働くことができるけれど、もしもこの先どちらかに何か病気や怪我があったときに、ふたりならば生きやすい。

元々結婚の相互扶助的な部分は、結婚の数少ないメリットだな、と思っていたけれど(でもそもそもは、誰もが自活できて、それができない時には福祉がしっかりと助けてくれるという安心感がまず欲しい。ここは本来結婚なんてものがなくとも経済的社会的”弱者”ひとりであっても安心できる社会であってほしいしそうなるように小さくてもムーブメントを起こすandはたらきかけには積極的に参加したいところではある)正直、この人のためならば自分が苦労しても全然構わない、と思うような恋愛関係にあたる人に出会うことってまず、私はなかったです。ここは多分私の薄情さ由来なんですけれど…。

知り合い、友人各位に結婚しました報告を少しずつしているのだけれど、結婚よかったね、幸せになってね、とか、これで久美子ちゃんも家庭をもつのね、とか言われると一抹の違和感を覚える。

ただの結婚です!ただの結婚です!幸せになるかどうかは私のこれからの歩み次第ですし!家庭って何ですか!名字が変わるので、そして久々に連絡をとるきっかけにもなると思い報告をしたのですが…思った以上におめでとうを言われる。

頑なに非婚派を公言して憚らなかった私が、とち狂って結婚という選択をしたこと、それほどまでに愛する人に会えたことを祝ってくれた友人各位そして父母には素直に心からありがとう、と返すのだけれど。

あ、この人は私が「結婚組」の仲間入りをすることで、自らが選んだ「結婚子育てマイホーム」のような選択に1いいね👍されたような感覚でいるのでは…と思うようなね、そういうね、これは本当に「おめでとう」に対して失礼過ぎる反応だと思うんですけれどね。私の性格が悪くそして思慮が浅くて申し訳ない限りなのですけれど…。

ただハッピーな気持ちでいたいのも山々なのだけれど、役所への届出からの「世帯合併は民法で定められているので…」「ご主人さまは…」「奥さまは…」等々、各所で腹立たしい言葉遣いで現在の婚姻制度の窮屈さを改めて実感させられてトゲトゲしい気持ちになってしまいこのような文章をかいてしまいました。

ただの結婚です。私の幸せは私自身で掴むし、その勢いで、恋人にも幸せを感じてもらえたらラッキー。これからもやりたいように、そして時には努力もしながら、なんとか生きていきたいです。

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