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何もない街角で。蒲郡駅前に住んでわかったこと~50年の歴史をサクッと閉じた居酒屋「大番」の巻~

撮影:荒牧耕司

繊維産業が衰退した町で見つけた、とびきりの居酒屋

 かつてはにぎやかな商店街だった駅前がシャッターを下ろした店舗や住宅や空き地に変わり、酒場から酒場へハシゴしようと思ったら暗い道をしばらく歩かなければならない――。
 多くの地方都市が直面している現実だ。産業構造の変化、大都市圏への人口流出、少子高齢化、ショッピングモールやネットショッピングの拡大など、原因はいろいろあると思う。
 僕が住んでいる愛知県蒲郡市の場合は、30年ほど前までは元気だった繊維産業が衰退し、その代わりに台頭した自動車産業(トヨタ系企業)の大きな拠点は呼び込めなかった。約8万人の人口は毎年少しずつ減っている。
 僕は2012年の夏に東京から蒲郡に引っ越してきた。隣の町の西尾市で家業を継いでいる妻と結婚したのが理由だ。蒲郡駅前の第一印象は「駅前なのに海が見える。他は特に何もない」。絶望というほどでないけれど、「夫婦で仲良く暮らして、遊ぶときは外の町に行くしかない」とあきらめのようなものを感じたのを覚えている。

名前は知らない。でも、同じ時間と場所を共有する

 でも、しばらく暮らしていると良い店を見つけたり、そこで知り合った人たちと言葉を交わせたりする。都会に比べると絶対数が圧倒的に少ないだけに、良い店や気の合う客を知ったときの感動は大きい。その勢いで親しくなることもある。
 好きな店で出会った人との関係性は以下の3種類に分かれる。①連絡先を交換して他の店に行ったりお互いの家を行き来したりする。②連絡先を交換することもあるけれど、基本的にはその店で会って楽しく会話する。③お互いの名前を知らないか忘れてしまうけれど、同じ時間と場所を共有することを嬉しく感じている。
 この3分類は、客同士だけではなくお店の店主やスタッフにも当てはまる。自分で言うものもおかしいけれど、僕は人懐っこい性格なので①が起きることも少なくない。特に蒲郡に引っ越して来てからは、喫茶店、和食店、歯科医院、美容院などのオーナースタッフを自宅に招いて会食したりしている。自営業者同士の親しみもあるのかもしれない。

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大番のカウンターには作り置きのおかずがいつも並んでいた。また食べたいなあ!

開店50年? まだ7年目ぐらいの気持ちで働いています

 蒲郡駅を北に出て、ロータリーを超えたすぐのところにあった居酒屋「大番」とは③の関係性だった。経営していたのは70代ぐらいの夫婦だ。古い雑居ビルの2階にあった小さな店で、店内は狭いのにゴチャゴチャしていて、トイレは外でしかも共同かつ男女兼用。価格は激安ではない(飲んで1人4千円ぐらい)。予約を入れて50回ぐらいは訪れたはずの僕の顔と名前を覚えていてくれたかも定かではない。
 それでも僕が月1は通って飲み食いしていたのは、刺身や天ぷらのおいしさととぼけたような温かみのある雰囲気が好きだったからだ。知っている人しか絶対に入りたくない店構えと、カウンター7席ぐらいと4人で満席の小上がりのみだったので、店内で飲んでいると他の客をそれとなく観察することになる。誰が相手でも店主夫婦の対応はほとんど変わらず、朗らかだけど入り込みすぎない。ベタベタした人間関係が嫌いだったのかもしれない。
 2年ほど前のことだったか、カウンター越しに女将さんと話していて驚いたことがある。数日前に50周年を迎えたことに気づいたというのだ。僕なんかより長年通っている固定客も少なくないので、それを事前に話せば大いに祝ってもらえただろうに。
 しかし、女将さんは「大げさなことは嫌いだから」と一言。また、20代前半で結婚してすぐに夫婦でお店を開き、毎日楽しくも必死で働いてきたので「開店50年」などとは実感できないという。
「なんだかね、まだ7年目ぐらいの気がするのよ」

前を向きながら、余韻すら残さずに消える生き方

 だからこそ、老朽化した雑居ビルの取り壊しが決まったときは悔しかったに違いない。女将さんは夫である大将の料理の腕に惚れ込み、ときどき自慢していた。「まだ十分にやれる」と言っていたこともある。でも、今から新しい店を作る力までは残っていなかったのだと思う。
 2019年の冬。大番は突然に閉店した。ごく一部の常連客にだけ挨拶状を出したらしいが、大げさなことは一切拒否して店を閉めた。僕は寂しく感じたけれど、同時に「大番らしい終わり方だな」とも思った。
 人も店もいつかは終わりが来る。盛大な最後を遂げたり、後進に何かを遺したりするのもいいと思う。でも、大番のように毎日を夢中で過ごして、「まだ7年目ぐらいの気がする」なんて前を向きながら、余韻すら残さずに消える道もあるのだ。
 僕はいま43歳。頭の白髪は増える一方で、老眼も始まっている。老いや死について少しずつ考えていく年齢なのだ。大番のような店と出会い、妻や友人と一緒に堪能し、その終わりを目の当たりにできたことを今では幸運に思っている。(おわり)

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