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何もない街角で。蒲郡駅前に住んでわかったこと~近くに海があるだけで気分が明るくなるの巻~

撮影:荒牧耕司

海に囲まれた島国、日本。きっとそれぞれが「母なる海」

 40年以上も日本で暮らして各地を訪れていると、「おらが海」の自慢を聞くことが少なくない。どの場所でも地元の人は海の眺めや海産物などを誇らしげに語るし、褒められると嬉しそうだ。きっとそれぞれが「母なる海」なのだと思う。
 蒲郡駅は2階建てのホーム上から海を見ることができる。徒歩5分ほどで海岸にも行ける。工業用に埋め立てられた海なので情緒はない。昔は砂浜が続いていたそうだが、伊勢湾台風の被害を受けてそのほとんどが護岸されてしまった。それでも毎日のように眺めていると愛着がわく。
「ここは抜け感があるよね」
 8年前、この駅前で一緒に引っ越し先を探していた際、妻が嬉しそうに口にした言葉が耳に残っている。関東平野のど真ん中にある埼玉県で生まれ育った僕とは違い、妻は蒲郡市とは別の港町に祖父母の家がある。子どもの頃、魚屋の生臭さが大好きだったというほどの魚介類好きだが、海沿いを好む一番の理由はその開放感にあるようだ。

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「店舗業務ができない人間は最低だ」と思い込んでいたユニクロ社員時代

 人の気分は環境と体調によって大きく左右される。夜は内省的で悲観的になっていても、朝になって太陽光を浴びると「あれ? どうしてあんなことでウジウジ悩んでいたんだろう」と思ったりするものだ。
 同調圧力の強い日本においては、会社という環境も非常に大きい。20年前、僕は新卒社員としてユニクロ(ファーストリテイリング)の店舗で働いていた。商品整理(洋服たたみ)から在庫管理まで、正直言って何もできない社員だった。やる気だけは人一倍あるのに、体が動かない。あの頃は「店舗業務ができない人間は最低だ」と思い込んでいた。
 逃げるように会社を辞めて、ユニクロ的なものとはまったく異なる出版業界に身を置いてから気づいたことがある。洋服を速くキレイにたためなくても、店の在庫状況に合わせたレイアウトを作れなくても、人として価値がないわけではない。ごく当たり前のことだけど、環境をガラリと変えなければ納得できなかった。

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身を置く環境を大きく改善すれば、自分の良い部分を引き出すことができる

 あの経験以来、僕は環境論者になった。自分の性質はなかなか変えられない。でも、身を置く環境を改善すれば自分の良い部分を引き出して悪い部分を抑えることができるからだ。好きでもない街に住んで、やりがいのない仕事をし、愛情を持てない家族と一緒に暮らしていたら、ひがみっぽくて意地悪な部分が出てしまっていただろう。
 海はそんなにキレイじゃないけれど眺めは開放感がある蒲郡駅前。海風がある分だけ蒸し暑さは緩和されているし、マグロやウニはないけれど白身魚や貝類は美味しい。探せばおおらかで面白い人たちとも知り合える。この環境に影響を受け続け、朗らかで親切なおじさんとして人生を全うしたい。(おわり)

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