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感受性と情報量

先日、「君たちはどう生きるか」を観てきた。
ネタバレは含まないので安心して読んで欲しい。

一緒に観に行ったのは、社会人一年目のひとつ年下の友人だった。

映画を観たあと、31アイスクリームを食べながら、「どうだった?」と私が感想を聞いた。

「うーん、男の子の話やなって思った!あんまよくわからんかった!」

友人の言葉に私はびっくりした。私には、これまで観たジブリ作品や宮﨑駿という人の断片的な情報、映画のメッセージから消化しきれない程の考察や感情が生まれていたからだ。

友人に私が感じたことを30分程話した。友人は、「おみやにいわれてみたら確かにそうかも、めっちゃわかった〜」と言われた。

結構驚いた。

私は普段、映画やドラマ、アニメなどの映像作品を視聴することができない。大きな音や暗くて逃げることの出来ない映画館という環境、否応なしに垂れ流される大量の情報、作品に登場する人物の感情が私を支配して、3日ほど引きずるからだ。また、サブスクや飛行機での映像視聴も、一旦停止してもその間にいろいろな考えが巡ってしまって止まらなくなるからだ。

友人の感想が、羨ましかった。

また別の友人の家に泊まらせてもらった時、私は一度も歩いたことの無い街を駅から友人の家まで一人で三往復ほどした。

その友人は引っ越して1ヶ月ほどで、せっかくなら近所のご飯屋さんに行こうという話を前々からしていた。
私は電話でこう言った。

「駅の近くには焼き鳥屋さんが3軒くらいあったし、居酒屋もあそこにあったよ、その隣にタピオカ屋さんもあったね。フィリピンパブ通りのあたりにも焼き鳥屋さんがあった。駅からの通りにはおしゃれなバルも2軒あったし、夜カフェもあるよ。とりあえず合流してから考えたいから、陸橋のふもとにあるタバコ屋さんの前で待ってるね。」

友人と合流した時、「なんで自分より知ってんの?タバコ屋とか言われるまでわかんなかった。」と言われた。

その時、あぁ、私は情報を受け取りすぎてしまうからしんどいのだ、と思った。

常に何かを考えている。受け取った情報を、過去の情報に結びつけて考えている。自分の感情や、過去の経験や、知識など…それを頭の中で整理することなく、とっちらかったまま、必要な時にまた引っ張り出してくる。

そりゃ疲れるわ。

大学生2人とBBQをして、カラオケに行く機会があった。彼女たちはインターンで私の地元に来ており、毎日楽しそうにインターンをし、地元の人に連れられてアクティビティを楽しんでいる。

「疲れないの?」と聞くと、「体力的には疲れるけど、毎日楽しいです!あっという間です!」と返ってきた。

私は毎日人付き合いがコロコロ変わって、体力も消耗して、インターンという学びのためのプロジェクトに参加していて、という状況であれば、確実に自分の内側で及ばなかった点の反省会を無限にやってしまうだろう。

これらの経験から、自分という内面と、過去にフォーカスしすぎてしまうがゆえに、あまり今を生きていないのかもしれないし、普段から勘ぐって気を回しすぎてしまっているのかもしれない、と思った。

まあこのnote書いちゃってる時点でそうなんだけどね。

私は言語化は得意だけどとっちらかってるし、認知が自分に対して悲観的だし、受け取るものを過去と結びつけるから、勉強はできても今を生きるのはしんどい。

友人や大学生たちから、今を生きる、楽しむことが生きやすさにつながるのかもしれないということを学ばされた。過去はどうにもなんないもんね。

もうこんなこと言ってる時点でかなり生きづらいし、めんどくさくなってるけどね。

まあそれが私の良さであり、めんどくさいところなのである。

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