斜陽
私がnoteを書く時は、必ず鬱気味か完全に鬱の時である。
日頃、それなりにフラットな状態であったり、躁である時は、不安の原因となる思考を言語化、具体化する必要がないからである。
そしてすぐ、「普通」になりたいと言う。
普通、という言葉は、なんなのかよくわからないまま使用しているが、私にとって普通とは憧れであり手に入らないものだと思っている。
手に入らない、というのは、私が「普通」の枠内にいると自分が認識することができない、という意味である。
とんでもなく自分を尊大なものとして認識する時もあれば、もう生きている価値がない、こんな情緒不安定でこだわりが強くて融通が利かない人間は社会に出てはいけない、と認識する時もある。
そして、あまりにも自分が精神疾患であることに固執するのは、「病気」という膿を出すことによって、清廉潔白な自分という存在が残るということを信じずにはいられないからである。
気質からきている病気であり、もはやただの脳機能の特性でしかないとしても、自分をコントロールできない、という感覚に怒りと絶望を覚えるからだ。
みんなそんなもんなのかもしれない。それをうまく「仕方ない」「まあいっか」で乗り越えているのかもしれない。それができずに深みにはまるから、こういう人間性ができあがっているのである。
いつになれば自分の弱さから抜け出せるのだろうか。
こうした文章を紡ぐとき、かならず「自分」がテーマになる。勝手につくりあげた幻想の他者と自分を比較して、どこか自分が劣っていれば絶望し、現実に存在する他者に目を向けようともしない。
そして、自分にとって害となる行為をする人物のみが視界に入り続け、囚われ続けて病む。
愚かなことであるとわかりながらも、他者からの言葉や待遇の冷酷さにひどく傷つき、強迫的なまでに何度も思い出しては、チックという症状で表出するようになる。
こんなはずではなかった。
自分にかけ続けた、いまもかけ続けている期待が、自分をどんどん深みに引きずり込んでいく。
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