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長谷川カオナシ備忘録

高校生に刺さる歌詞なんて、ましてや私が経験したことのある歌詞なんて、これっぽっちもないかもしれない。

好きだった先輩に電話で二十九、三十、を聴かされて、何故か聴いたことあるかもって勘違いしたあの夜とか、登校中に聴いた風に吹かれて、にやるせなくなって泣きそうになったりだとか。

何故?
何故そう思うのか。なんて、説明を求められても言えない感情がある。
恋してもしてなくても、苦しくても幸せでも、その人がその曲と共に過去に浸っても、未来を想像しても、
それでいい、
あんたに必要なものだけでいいって言ってくれるバンドクリープハイプ。

4月24日
地元でのライブに行ってきました。
チケットをとったのは半年前で、忘れるわけないと思いながら、もしかしたら忘れるかもってずっと怖かったです。
書こうと思っていたこの時の気持ちは上で書いた通り、どんな気持ちでも受け止めてくれた彼等がいたので、書く必要が無くなりました。

15列目で割と近くて、会場に入った途端、やべぇなんていう普段使ったことの無い言葉が胸に溢れた。
クリープは初めてだからワクワクしながら行ったのに、もっと心構えしておけば良かったなんて後悔した。

世界観以外の3人が入場して、会場は拍手で包まれる。
うん、YouTubeで見た通りだなんて笑いながら最後に彼も入場した。
空気が変わったのが分かった。
料理から始まったセトリで、遠くまで届きすぎる声にマイクが追いついていないみたいなそんな感じ。
久しぶりの生のライブだったからかな、クリープハイプだったからかな、興奮したし、暑かった。

月の逆襲のイントロが流れて、やっぱ来ますよねこの曲は。って安易に考えた私。
カオナシさんの歌声が聞こえた瞬間、戦慄が走ったようだった。
いつもCDで聴いていたストレートな声とステージ上での楽器と目線で歌う彼が衝撃だった。

カオナシメインの曲として、しらすとすぐにが含まれていた。この2つもすごく良かった。ライブ全体を通して、ほとんど良かったとしか言いようがないんだ。なぜなら言語化できないものというのは沢山存在しているから。
私がここに書くような文章は、みんなが思うような感想と一緒で悔しくなる。クリープハイプが好きで、カオナシさんが大好きで辛い日々も全部それに救われて、そんな人沢山いるんだと思うと死にたくなる。
死にたくなるバンドクリープハイプ。それでもやっぱりいつも救われています。

陽キャで楽しそうなソフト部のあの子がクリープハイプを好きだなんて信じられない。
キラキラ大学生の友達が多いあの先輩にはクリープハイプは必要ないのではないか。
インスタグラムやTwitterに沢山いる、自分の顔とクリープハイプの曲をあげる人間は何なのか。
私にクリープハイプを教えてくれた悪い先輩も聴く資格なんてないのではないか。

そんな、そんなことを思って過ごしてる最低な人間だから。
クリープハイプは私をこういう思考に落とし込んだ。没頭させた悪いバンドである。

ライブの曲一つ一つに感想を言うのはあまり気が進まないないですね。。

四季とか、爽やかで、オレンジとか、前向きで、英語より日本語が下手なんじゃないのかみたいな文章しかでてこないんだよな。

まあ、そうですね、、
最後の大丈夫は割と泣きましたね。というか、たった今、救われる曲になりました。共感することなんて正直ほんのちょっと。具体例を経験してきた人間じゃないから偉そうなことは言えない。この前、Twitterで大した経験もしてない癖にクリープハイプの歌詞に共感する女が嫌いってでてきて少し笑ってしまった。聴いた人に残る歌なのは、共感からなのか、メロディ、歌声、バンドメンバーからなのか、なにかは分からないままそうやって吐くTwitterはなんだか愛おしい。皮肉を込めてここに書く。

今まで、ほとんど誰にも本気で好きだなんて言ってこなかったバンドだけれど、向き合いたい。ライブで尾崎世界観が俺たちに任せてと言って、本気を感じた。その分向き合いたい。

こんなものかな。

:1ヶ月経った今、峯田和伸に出会わせてくれて有難うございます。と伝えたいです。


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