見出し画像

心からの感謝をこめて、ありがとう

第六感といえばいいのか、虫の知らせといわれるものなのか、
  「もう、いないのかもしれない」
と、声に出して一人つぶやいた。

その人と会ったのは、診察室の待合場所。 乳がんの手術から丸4年経とうという頃だった。 あと1年で完治とみなされる。そしたら3ヵ月に1度の通院から解放されるんだと心は弾んでいた。

声をかけてきたのは彼女の方からだった。
  「今日は空いていますね」
  「ええ、定期検査も珍しくスムーズでした」
  「何年目ですか」
  「手術から丸4年です」
  「私は・・・手術して1ヵ月。前の先生がいなくなってて」
話を聞くと、再発乳がんの手術から1ヵ月ということだった。
他にも転移が見つかっているという。
しかも再発が見つかったのは、最初の手術から10年目。

私と違って繊細な彼女は、担当医が人事異動で変わってしまい、
手術をした人とは違うことに大きな不安を抱えていた。
待合場所に来る前に看護師と深刻な顔で立ち話しているのを目にしたが、
どうも新しい担当医と気が合わないらしい。
もしどうしても会わなければ、他の医師に替えることもできるか訊いていたという。

言葉の端々に関西なまりが挟まるので、聞いてみると案の定大阪から結婚で夫の故郷、天草へやってきたのだ。私は言語形成期を京都の片田舎で迎えたので、基本的には関西方言の方が気持ちが乗るし、耳に心地いい。
彼女も同じで、何十年経ってもどことなく不自由な思いがあったようだ。

そんなこんなで意気投合した彼女と私は、週末ごとにあちこちドライブに出かけた。会話はもちろん関西弁で。
熊本県には一括りにできない地域ごとに特有の文化が息づいており、言葉も微妙に違っていて、同一県内でも意味が通じないこともままある、なかなか興味深い県である。見るべきところはたくさんあった。

私が農作業で行けないときは、顔だけでも見たいと、突然田舎家へ出向いてきたり、そんな楽しい週末が1年ほど続いていた。
迷惑だとは思わなかったが、天草から田舎家まで2時間はかかる。
燃料費や帰りの時間を考えると申し訳ないのと、無事に暗い夜道を帰宅できたか心配になった。

そんな彼女が何も言ってよこさなくなった去年の春、いつも彼女からの申し出ばかりで私が受け身になっていたから、気分を害したのかと思い、こちらから行きたいところを持ちかけてみた。するとすぐに返事が来て彼女の都合のいい日に即決した。明日の朝彼女が田舎家へ寄って私を乗せ、目的地へ向かう。小学生の遠足前のように、会えるのを楽しみにワクワクして就寝しようとしたとき、急用で会えないとだけの短いメールが入った。

急用ってなんだ! 先約を断ってでもやらなければならない用事って・・。
いつもと違う短すぎるメールからは「訳は聞かないで」という声が聞こえそうな、有無を言わせない強い断りの意志を感じた。
私も「わかった、またね」とだけ返した。

それからお互いになんとなく言えない、聞けない、感じがあって音信が途絶えた。6ヵ月ほど過ぎたころ「もう会えないかもしれない。このまま何も知らせないで、お別れしたくなかったのでメールしました」
「まさか」不安は的中し、「入院しているが、すぐ退院することになる」けど、かなり悪いので当分会えそうもないと直接電話で聞きだした。

その直後に私の方が椎間板ヘルニアを発症して動けなくなった。
その旨メールしたら、退院して天草にいるとのことで安心していた。
自分のことで手いっぱいだった冬が過ぎ、やっと動けるようになったころ、
再発が疑われる状況にあることをメールで伝えた。

すぐに返信メールが届くか電話があるはずなのに、1週間経っても音沙汰がない。
  「もう、いなくなっちゃったの」
に続く言葉は声にできなかった(この世から)。

つい先日、やっと返信メールが来た。
  「やっぱり、元気だったんだ!」
杞憂だった、と、笑みまで浮かべながら開いた。
  「メールありがとうございます」
  「〇〇の夫です。いままでありがとうございました・・・」

病状についてはあまり多くを語らない人だった。
急な用事というのは、かなり具合が悪くなっていたのかもしれない。
今年の桜が咲いたのを見届けて旅立った人。
天国で満開の桜を楽しんでいる彼女の笑顔が浮かぶ。
ご冥福をお祈りします。

<1752文字>



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?