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小品集「花言葉」

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色々な形の愛にまつわる小品集です。少しずつ不定期に連載します。
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記事一覧

春さん (一)

コスモスの花言葉:乙女の真心、純潔、優美(開花期:秋)

ゼラニウムの花言葉:私はあなたの愛を信じない、疑い(開花期:春から秋)

1.キヨミ

 今年も夏が終わり、庭に、春さんの好みで、沢山のゼラニウムとコスモスが咲き揃っている。私は義母のことを、心の中で勝手に「春さん」と呼んでいるけれど、チェコ移民だから、本名はヴェスナ。スラブ系文明の春の女神の名前だそうだ。義母は、その名にたがわず、春から庭

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春さん (二)

2.アネシュカ

 最悪の一日だった。ニコに見せるために、おばあちゃんに買ってもらったドレスを着て、学校に行ったのに。

 お母さんが、汚れるとか、可愛すぎて友達に嫌われるとか、色々言ったのを振り切って、着て行ったのは、ニコにあたしの新しいドレスを見てもらうためだったのに。

 お昼に、ニコがエイミーとデートしてたって、ケイティが教えてくれた。火曜日に、二人で映画に行ったらしいって。ショッピングセ

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春さん (三)

3.ヤネック

 職場に架けてくることはまずないのだが、五時半前、突然、携帯電話が鳴った。キヨミからだった。アネシュカが失踪したと言う。

「失踪っていつのことだ」

と聞けば、一時間くらい前と言うので、

「なんだ、そんなの失踪とは言わない」

と言い、叱られた。

 ニコという名の彼氏と喧嘩したショックで、電話機も持たずに、トイレの窓から逃亡したと言う。彼氏が居たことすら、父親のボクは、今日ま

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春さん (四)

4.ヴェスナ

 玄関横の窓からパトカーの青い光が点滅しているのを見た時には、心臓が早鐘のように打った。扉を開けて入って来たアネシュカの顔を見た瞬間の、安堵と言ったら!

「アネシュカ、どこに居たの」

走り寄って抱き締める。アネシュカは、

「セントラルまで行って、電車降りて、ちょっとぶらぶらしたけど、一人じゃつまんないし、お腹すいたから、帰って来た」

と、何でもないことのように言う。続いて入

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春さん (五)

5.キヨミ

 以前は、週に二日はうちに遊びに来ていたのに、春さんは、怒っているのか、傷ついているのか、あれから二週間、来ない。

 あの日は、アネシュカに何かあったら、本当にこの女を刺し殺して自分も死のうかという勢いで腹を立てたけれど、結局、娘は無事に帰ってきてくれたので、なんだか、私の怒りも、空気が抜けた風船のようにしぼんだ。

 あの夜は、娘をそっとしておこうと思い、何も話さなかった。翌日、

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カモミールの日(一)

カモミールの花言葉:逆境に負けない強さ、親交、仲直り

 朝から、気もそぞろで、数字や漢字や会社名や科目を何度も書き間違え、打ち間違えた。

 そんな忍を見ていて、温和な課長が、とうとう堪忍袋の緒を切らし、

「四年も働いてんのに、まだ仕事を覚えられんのか」

と叱りつけた後、

「何かあったんか」

と心配してくれた。

 こういう時は、人の厳しさも優しさも勘に触るもので、苛々することしかできず

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カモミールの日(二)

 今日は、朝一時間の営業会議の後、客先を三件回ることになっていた。訪問の順番をうまく調整し、大手町の客先から直帰できるようにしたから、いつもより早く帰れるはずだった。

 外資系の営業職は、顧客を失くすようなことさえしなければ、結構、行動の自由が利くので、友成は、初めのうちはむしろ戸惑うことが多かった。一泊二日の社員全員強制参加の温泉旅行などという古臭い「福利厚生」は無く、代わりに、会社が承認する

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カモミールの日(三)

 恐らく自分より先に帰っているだろう忍が、また、家の中を滅茶苦茶にして半狂乱になっているだろうかと心配になり、そうなっていたら、自分は何をどう話し、どういう結論に持って行きたいのだろうかと悩み、何一つ決められないまま、友成は忍のアパートの階段を重い足取りで登り始め、六段目で、その物音を聞いた。

(やっぱり)

と思い、ぐったりと、益々重くなった足を一歩一歩引きずるように、階段の上に辿り着いた。た

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Forget-me-not (1)

著者からのお断り:(これは小説本文ではありません。)本作品は、海外滞在中にそこを舞台にして書いたものです。日本人と日本の地名が一つも出てきません。不思議に思われるかもしれませんが、人名や地名は小説の主要な要素ではありません。深い意味はありませんので、お気になさらず、お読みください。

ここからが小説です。

Forget-me-not

ワスレナグサの花言葉: 私を忘れないで

 前にも会ったこと

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Forget-me-not (2)

 数日後、廊下を歩いていたら、駐車場を歩いていくアストラの姿が見えた。彼女が帰るころなら、もう五時過ぎか、などと思い、腕時計をちらりと見て、再び目を上げたときに、そいつが視野に入った。アストラはまだ気付いていなかったが、そいつは、彼女の背後から、素っ頓狂なスピードで走っていた。足音を耳にしたのだろうか、アストラが振り向いた。その瞬間に、そいつがアストラに殴りかかったように見えた。

 オレは咄嗟に

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Forget-me-not (3)

 金曜日が待ち遠しかった。祈るような気持ちというのは、こういうことをいう。何を祈るかと言えば、もちろん、金曜日までに凶悪事件が起こりませんように、だ。何も約束したわけではないが、ああいう別れ方をした後の金曜日に、何か起こることを期待しない男は居ない。

 祈りは叶ったと言うべきか、叶わなかったと言うべきか。

 金曜日、昼過ぎに、鑑識の前を通った時には、会い損ねた。電話で話しても良さそうなものだが

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Forget-me-not (4)

オレ以外の捜査官たちは、一瞬、反応しなかった。アストラが現われて署内が色めきたってから、かれこれ5週間ほど経っていたから、この間に、彼女の名前は彼らの頭の隅の方に押しやられていたのだろう。

 オレは飛び上がってブリッグスに掴みかかり、アストラは生きているのか死んだのか聞いた。今思えば、皆、いささか面喰ったろう。

 この時、アストラの生死はブリッグスも知らなかった。ただ、刺した男は、既に逮捕

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Forget-me-not (5)

その同じ日に、市内で無関係のガソリンスタンド強盗事件が起き、オレはそちらの担当となったため、もう、アストラを病室に見舞う暇もない忙しさとなった。

 だから、しばらくの間、オレは、アストラの事件について、巷の一般人が知ることができる程度のことしか、知ることがなかった。

 一般人が知っているアストラの事件というのは、四十年前に人を殺して自宅に遺体を隠していたマッキノンという男が、今度は警察関係者

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