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「猿の戴冠式」を読んで

 猿の戴冠式を読み終えたので感想を書こうと思う。
まずこの作品は、小砂川チト(こさがわ・ちと)さんの作品で講談社から出版されている。

以下公式サイトの紹介文

第170回芥川龍之介賞候補作。

いい子のかんむりは/ヒトにもらうものでなく/自分で/自分に/さずけるもの。

ある事件以降、引きこもっていたしふみはテレビ画面のなかに「おねえちゃん」を見つけ動植物園へ行くことになる。言葉を機械学習させられた過去のある類人猿ボノボ”シネノ”と邂逅し、魂をシンクロさせ交歓していく。
――”わたしたちには、わたしたちだけに通じる最強のおまじないがある”。

”女がいますぐ剥ぎ取りたいと思っているものといえば、それは〈人間の女の皮〉にちがいなかった。女は人間の〈ふり〉をして、ガラスの向こう側にたっている”

”女とシネノは同じだった。シネノのほうはそのふるまいこそ完璧ではあったけれど、それでも猿の〈ふり〉をして、あるいは猿の〈姿をとって〉、こちら側にいる”

ねえ、なにもかもがいやなかんじなんでしょう。ちがう?

講談社

 私は小砂川チトさんの作品を読んだことがないので、どんな作風なのかも知らなかった。さらに公式サイトの紹介文も見ていなかった。
図書館の新刊本としてタイトルを見て、「これを読んでみるか!」と思い予約をしたのだ。私の順番は二人目だったので、早く読めることになった。

 初めの印象としては文体が難しいなと感じた。
猿と人間の話なのだが、何とも言えない不思議なものだ。
これが令和の小説のスタイル何だろうと実感した。
しかし、だんだん読み進めると意味が少しずつ分かってきた。

 猿を通して自分自身の姿を見直す。精神世界と現実が交差していく。
しふみとシネノに共通するもの。
しふみが共通すると思いたいもの。
私たちはこの小説を読んで感じ取るものは違うだろう。
私はまた少し自分の世界が広がったと感じながら、この作品を読みきったことで満足感を得たのだった。

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