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ぶっ倒れるように寝、気がつけば朝だった。 少し仮眠をとって、また夜中に起き上ろうと思っていたけど体が重たかったんだよな。怠け心を加味しても、一昨日の営業の疲れを引きずったまま、朝イチで出かけ、初のポケカ大会に参加し、そのあとリサーチも含めて歩き回ったんだ(データみると15kmくらい歩いてた)。そりゃそうだわ。 納得して、ごろごろしてたら、布団(+寝袋)の上には猫が2匹いる。多少の重たさを感じながらも、どけるほどではない。逆にどけたら、気持ちよく寝ているこいつらが不憫
悪意がないものが、じつは一番悪意がある。 先日なんとなく雑談をしたときに、自分の口からこぼれた言葉だったのだけど、振り返ってみても「そう、そうなのよ」と数日前の自分にちゃんと同意できそうだ。 「うーん、悪意はないから、しょうがないんだけどねぇ」 知らなかったがために起きしてしまったトラブル。結構ある。もう世界中で1分1秒ごとに同時多発してるんじゃないか!ってくらいの問題だ。 知らなかったから「勘違いしてすれ違いが起こる」「勝手に行動して怒りを買う」「自由にや
日記をつけ忘れてた言い訳。の続きの日記。 ひさびさの完徹後に、そのまま新宿の会場へと向かう。そっからはあっちゅー間に事を終えた。もう36歳だし、寝てないことで短期記憶障害おこして、しゃべること急にぜんぶ飛んじゃったりしないかな? とかいろんな不安を抱えながら、本番を迎えることに。 プレゼンなんか2分ちょっとの一瞬だったし、終わっちゃえば、他の人のそれを観てればいいだけだから、楽なもんである。すべてを終え、14時くらいには会場を発つ。17時から打ち上げがあったので、時
その事実にはたと気づいて、一瞬、時が止まった。 コロナ禍で中止になっていた2年を除いて、毎年、試験を受け続けてきた「境港妖怪検定」。申込メールを遡って確認してみると、2015年に「中級」を合格して以来、過去3回「上級」に挑戦してることになる。 ちなみに中級までは選択&記入方式になのに対して、上級は論文形式(1200字内)になっていて、特に参考書があるわけでもなく、ひたすら"学問としての妖怪"をあらゆる本で学んでおく必要がある。 毎年ちょっとずつあたりをつけながら
毎日のnote記録は、そのほとんどを23:30以降につけている。迫られないと書かない、そんな性格だから、時間という縛りをつけた(もう一つの縛りは作文用紙1枚の400字以上であること)。 といっても、慣れとは怖いもので、このnoteに手をつけ始めたのは25:50である。残り10分で書けるものといえば、もう今の心境をただ書き殴っていくのみ。 23:30から始めようと思っていたが、膝上に乗ってきたヨネ(猫)をどかすまでに10分かかり、さて作業するかと机に戻ると帰宅したミソ
もう15年前になる。とある飲食店でバイトしていたとき、上司から清掃について注意されたことがあった。真鍮でつくられた螺旋階段の手すり部分の拭き掃除、「もうちょい丁寧にやれ」と。 わりとちゃんとやってたと思ってたけど、そうじゃなかったようで、汚れをめちゃくちゃ指摘された。で、どう掃除したのかを詰められた。ぼくは一番下っ端だったので、先輩たちが答えるのだけど、結果、道具の問題じゃないかということになった。 つまり、拭き掃除をするための雑巾がそもそも汚れていたんじゃないか、
近くに数えられるくらいしか飲食店がない、あったとしても、車といった足がない(そもそも免許がない)、そんな田舎で暮らしてると、街に出るときはジャンクチャンスである。 ジャンクといえば、ファーストフード店。主には、牛丼やハンバーガー。鳥取の外に出るときは、ほぼ一番最初に行くのは「松屋」だ。鳥取には松屋がない。その「ない」というスパイスが効いてる分、「ある」場所へ出かけて、入店オーダー後に届いた味噌汁の味は体にめちゃくちゃ沁みる。 普段は、ほぼ自炊である。お店が近くに「な
考えれば考えるほどに、悩みは尽きない。そりゃあ、まあ、考えること(言葉や気持ちを整理すること)で供養する悩みもあるっちゃあるけど、それだけで片付けられるほど、人間って簡単にできていないようで。 時間が解決してくれることもはある(10-20代ではその意味がよくわからず焦ってばっかだったけど、振り返れば、たしかにそうだなと思わされることはたくさんあった)。 考えるか、待つか、それ以外に、行動しちゃって悩みにぶつかっていく方法もある。考えても、待っていても、少しずつ膨れ
昨晩、成田から広島へ飛ぶ。だけど、飛行機の1時間近い遅延で、広島の予定がだいぶズれ、「あれ、なんのために広島経由したんだっけ?」となる。こういう読めないこともご愛嬌の精神ってことでいこう。 一応、目的としていた舞台に乗り込み、観たい人の観たいネタの熱量だけはちゃんと感じてきた。そのあと、0時前にホテルにチェックインし、なんとなく散歩して、河原越しの原爆ドームをしばらく眺めた。自転車でコンビニを行き来して酒とつまみを買い足す、地元民っぽい外国人たちが楽しく話していた。ベン
東京をギリ離れて、千葉にいる。昨晩は、有楽町で前々から観たかった舞台に行き、その足で船橋へ。成田空港まで一本の立地と、立ち寄っておきたいコーヒー屋があるのでちょうどいい。特に、宿を考えていたわけじゃなかったので、駅地下のカプセルホテルに宿泊。思いのほか、スタッフの対応も良く、ゆったり湯にも浸かれて、過不足無く過ごせる夜だった(これが新橋などの都心のカプセルホテルだったら荒れてたんじゃないか)。 こうやって都内を中心に数日過ごしていると、鳥取にいるときの過ごし方の違いをま
旅行や出張にかぎらず、東京の街を歩いてると、なんのために歩いてるんだろう、と、はたと感じる瞬間がある。 個人的に、降りたことのない駅に気まぐれに立ち降りてみて、散策するとかは好きだ。知らない地図と風景を、自分の頭と心で埋めていく作業が好きなのだ。Googleマップは100%信用していない。だからそれは、健康のために歩いてみるといったものではない。いやいや、そういう趣向の話をしたかったわけじゃない。 東京の街を歩くとは、歩きたくないのに歩かされてることが多すぎるのだ。
お昼どき、田端の駅ビルの中にあるカフェで時間をつぶす。時間をつぶすと書くと、どこか余裕があるようだし、休みみたいな書きようだけど、まあそれなりにやることは溜まってるし、ふつうに稼働日であり、「やらなくちゃいけない」ことの逆算にひぃひぃ言いながらやっている。1時間後に、打ち合わせのような、ただのランチのような、ふわふわした対面が待ち構えており、あと1駅という距離でスタンバっている感覚があるので、無意識的に「時間をつぶす」が出てきてしまったのだ。ちなみに、スタバでスタンバってい
体から毒が抜けていくのをただただ待つ。そんな一日を過ごしていた。 昨日は、 15時から大学のときからお世話になっている先輩と吉祥寺で5時間飲んで、その後すぐに渋谷でまた飲んで、下北で飲んで、とひたすらに酒を入れた。 ビールは記憶が抜ける飲みものだ、という持論がありまして、飲めなくはないし、美味しいとは思うのだけど、DNAとの相性の問題が、次の日に影響に多大な影響がある。昨日あったところどころの記憶が抜けていて、断片的にこういう話したよな、とか、あの人のこの話は印象的
東京のほうが暑い。沖縄育ちのぼくはいつもそう感じている。 今日から一年振りに都内に滞在している。今回は、6日東京、1日広島に立ち寄り、また鳥取へ戻るルートを組んだ。 羽田空港は、心なしか人が多いように見えた。もう夏休みに入った子たちもいるのか、知り合いの子どものようにチケット取っちゃったから、終業式前にフライングしてるのか、家族旅行のようなグループが四方八方に確認できた。米子から同乗していて、機内じっとしてられず、前の席からときどきちょっかい出してきた男の子(まさに