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「ダウン症」についてちょっと思うところがあったのでただツラツラと吐き出すだけ

Amebaのおすすめ記事で、最近やたら「ダウン症」の記事が流れてくるようになった。
自分も長男の事を書いた時に、ダウン症のハッシュタグをつけるし、その流れでタグ記事を読んだりするから、それ関連なんだろうと思う。

最近Twitterのリツイートで岸田奈美さんを知って、即Twitterとnoteをフォローした。弟さんがダウン症だそうで、それでもとてもよい家族関係だなとほんわかしてしまった。
そこに至るまでには色々あったとは思うので、近々著書を購入しようと思っているところ。

ブログでは、探せばあるのだとは思うのだけど、成人のダウン症の記事はあまり目に入ってこなくて、目につくのは生まれて間もないダウン症の赤ちゃんを持った親の記事。
もちろん単に可愛い子供の成長ブログだけどたまたまダウン症でしたー的なものもあるけど、
「不安」「育てる自信がない」「可愛いけど障害が受け入れられない」「早いうちに療育を」みたいに、病んでいる記事が増えている気がする。
さらに「育てる気はない」「産んですぐ乳児院に入れた」「合併症で亡くなったという子のブログを見て心底羨ましい」というブログも見かけた。

実際の生活では吐き出せない事をブログでは吐き出せるからそうなってしまうのかもしれないけど
(私も過去記事は結構多い。アメンバー限定記事とか病みまくってるw)
まだ生まれて1〜2ヶ月のレベルでそこまでなるか?と不思議に思ってしまうのだけど、それは自分はそうではなかったからなんだろう。

私が長男を出産した当時は、今もだけど、あまりに世間を知らないお子様だったので、子供が障害を持って生まれてくるなんて微塵も頭になかったし、ダウン症や自閉症なんて聞いたことはあっても知識はなかった。
というより、世間的にも自閉症は間違った認識をされていた頃だったし。
(映画バトルロワイヤル2のパンフレットの生徒紹介で「とあるショックから自閉症になった」という記載があり、それに関する訂正の紙が挟まっていた事で自閉症というものを初めて知ったし世間の認知レベルも知った。自閉症は後天的になるものではない。)

それと、いわゆる「知的障害者」に偏見はなかった。めんどくさそうだなとか大変そうだなとは思ってしまってはいたけど、そんなに嫌悪することはなかった。よく見かけてたし。
仕事帰りのバスでいつも一緒になる2人組が知的障害の方で、それでも普通にバスに乗って通ってるってすごいなーと思ってた。免許とってからは会うことも無くなったのだけど。
その後スーパーとかアパレルとかでもお客様で出会うこともあったけど、何か問題が起きたことは無かったし。

そんな私が24歳でダウン症児の母になった訳ですが。

長男が生まれて、それはもう可愛くて可愛くて目がぱっちりで小さくて、なんて可愛い存在なんだろう!しか無かったのだけど、あまりにミルクを飲まないということで、自分も入院中なのに長男だけ別の病院のNICUへ行ってしまった。
夫と母には染色体の検査をする旨を伝えられたらしいけど、母の意向で「産後間もないメンタルでショックを受けるかもしれない」とわたしには伝えられなかったけど、可愛い我が子と会えない方にショックを受けてメンタルボロボロだった私w

私の退院後はマザーリングとして長男のいる病院に一緒に入院して同室で過ごし、退院時に初めて、染色体検査をした事、そしてその結果の紙を見せてもらった。
2本の染色体がずらっと並んだその用紙をみて、「これ、理科の教科書で似たようなの見たな」って思った。
「ここですね」と先生が指した21という番号の所には、そこだけ3本の棒が並んでいた。

先生「本来は2本あるべきなんですけど、染色体異常で3本になっているんです」
私「へーほんとだすごい」(←今思えば何この返し)
先生「21番目の染色体異常なので21トリソミー…つまりダウン症ということになるんですけど」
私「あーそうなんですか(なんか聞いたことあるけどなんだっけ?)」
先生「ダウン症であったとしても、あなたのお子さんである事には変わりはないので、可愛がってあげてくださいね」
私「え?もちろんですよ!(当たり前じゃないかこんなに可愛い子を!何言ってんだこの医者は!)」

というやりとりであっさり終わったのだけど、夫的には「子供を殺して俺も死のう」と思っていたらしく、それを告げられた時に「なら勝手に1人で死んでくれ」って言った記憶がある。
先生との面談終わりに「ダウン症って成長すると治るんでしたっけ?」と聞いた記憶があるけど(当時知識が無さすぎた)それの返事は覚えていない。

しかしとにかく長男が可愛すぎて、そもそも子育ても初めてだから標準というものも分からず、ただ、ひよこクラブの成長記録は当てにならないと3ヶ月くらいで読むのをやめたし、市の合同乳児検診は3ヶ月の頃に行った以来あとは個別で病院でやってもらったし、手術やら入院やらであっという間に1歳になって、そこから役所から勧められて療育教室へ顔を出すようになったから、健常の同じ月齢の子達と絡む機会が非常に少なかったから劣等感も無かった。

無知であることは本当にいろんな意味で強いです。
なにしろ当時は携帯もWINの時代。docomoでいうところのiモード。auはWIN。今みたいに検索しまくるということも無かったからせいぜいダウン症関連の書籍を読んだ程度はしたけど、結局「個人差がある」の一言で、何の参考にもならねえなと読むのをやめた。

ちなみに、出産を機に仕事は辞めたのだけど(フリーターだったし)その後長男の手術や長期入院などがあって、辞めといて良かったのかなと思いつつ、私的にはずっと家にいるのは耐えられないタイプなので仕事をしたかった。
1歳になり長男も落ち着いたところで仕事を探すべく先ずは保育先を!と思ったら、既に仕事があるか勤め先が決まっていないと保育先を紹介できないし、義父母同居だとさらに優先順位は下がるという事で、夫や義父母に相談しても「働く事ねがべよ」と言いやがり、結局そのまま今でもニート生活です。
(金銭的には確実に働くべきだと思うんだけど、何しろ義父母が農業なので食べるものには困らない生活だから無理に働かなくても…という頭らしい。私の意思はそこには無い)

実際、知的障害だなと感じるようになったのはやはり幼稚園からだし、支援学校に入って同じ障害の子がいても、その子は色んなことができるのに我が子は何も成長していない…と差を感じるようになってからは色んな焦りが出てきて、幼稚園から小学部の4年生までは面談するたびに号泣してたな。
4年生の面談の時に、先生から言われた言葉で何かが吹っ切れて、それ以来泣かなくなったけど、今びっくりするくらい何を言われたか覚えていなくてw
ブログ読み返したら書いてるかな?

でも、久しぶりにテンパりまくって泣いたのが今年の春休み。学校から持ち帰った荷物の中にあった、進級にあたっての所属のお便りを見た時。
それまで通常学級だったのに、重複学級の所属になるとの連絡を、事前に聞かされることもなく(匂わせるような話はあった)いきなり封書で知った時に、それまで考えていた進路先とか全部リセットしなくてはいけないのか!とか、高等部進学時に通常学級で受検(受験ではなく受検)して受かったのに!とか、とにかく先の不安がどっと押し寄せてきて、でも相談できる家族もいなくて悩みすぎてとにかく泣いた。

更に昨年度から、高等部卒業後からは今利用している放課後等デイ(日中一時も併用)は利用できなくなってしまい、今後下の兄弟が土日に学校行事があった場合に預けられる場所を新たに開拓しなければいけない!という焦りも出てきて、長男が障害者でなければこんな心配はなかったんだろうなとか、ふと考えてしまう事が増えてきて、でもそんなのは私の都合(と協力してくれないうちの大人たち)であって、長男は何も悪くないし…とまた泣きたくなったり。
なんてしていたら、今月諸事情で突然のデイの移動があり、いきなり長年所属していたところから知らないところへポーンと入れられた長男はメンタルふわふわしはじめて、それの対応で私が泣いてる場合じゃなくなったり…。

なんか話がぐちゃぐちゃになってきたけど、結局、こう悩んでいるのって大体が親の都合なんだよね。
「早めに療育させないと」とか「ダウン症の成人の人はダサめな格好をしているからうちは絶対に身綺麗にさせる」とか見かけると、
うちの場合は早めに療育したところで成長は個人差あるし、いわゆるダサいファッションになってしまうのは、自力で着脱しやすい服を選ぶと1番楽なのがボタン無しでウエストゴム…つまりスウェット上下最強!な訳でそうなっちゃうんだけどな…と思っちゃうけど、それってある程度育ってうちの子は最重度だからその子の生活しやすい環境を作るとそうなったという結果なんだよね。
ダウン症でもできる子はできるし、おしゃれな子はちゃんとおしゃれだし、自立出来ている子は出来ているし。

まあ「ダウン症は天使」って言ってる人に対しては「は?マジでそう思ってんの?」と思うけど、結局のところは長男含め、次男も長女も次女も、我が子はみんな可愛いし。
めんどくさい時はみんなめんどくさいし、うざい時はみんなうざいし、ダウン症だからって扱いはしてないかもしれない。
ぶっちゃけ自分よりも大きな図体している長男の体洗ったりトイレ介助したりとか、もはやお世話というより介護だし、一時期本当に嫌で病んだりしてたけど、でもそれが長男だし、こちらは何もしてないのに見知らぬ人が長男に対して何か言われたら普通にムカつくし「うちの子が何かしましたか?」って言うし、つまりやっぱり可愛い息子な訳です、普通に。

こんだけ長々と書いていて何をいいたいかと言うと
「ダウン症のブログを見ると、大体『可愛い我が子の成長記録』とか『頑張っている様子』とかが多いけど、私みたいに絶対嫌だって思っている人がいるはずだから、その人たちに向けてこういうブログを残しておくべきだと思って書きはじめました」
というブログを見た時に思ったんだけど

正直「ダウン症で良かった」なんていう親なんているわけねーだろ!!!

って事です。
みんな「我が子」だから可愛いのであって、その我が子がたまたまダウン症だったってだけで、「ダウン症の子は可愛い」とか「ダウン症は素直」とか、確かにそうなんだけど、結局「この状況で肯定させるなにかが欲しい」が為の言葉でしょ、とか思ってます。私は。
表題にしてまでダウン症児のブログをあげてる人だって、本当は辛いししんどいしなんでうちの子がって思ってるけどぶっちゃけ我が子は可愛いし、本当に可愛いと思ってるから写真だって載せちゃってるんだと思うんだよね。

でも多分みんな、絶対悩んでるし泣いてるしどこかにぶつけたい気持ちはある、だからそれをどこかに吐き出したいからブログやってるんだろうなって見ててわかるから、嫌だって思ってる人へ向けてのブログなんてみんな押さえ込んでる物を全部表にひけらかされた感じがしてマジ地獄だよ。

でもこうやって、そんなブログにつられて長々とこんなの書いちゃってる私も、本当は「そうやって足掻いてでもダウン症の育児から逃れようとしている人」をちょっと羨ましいと思っているのかもしれない。
長男が障害児であった事で私は人として多少は成長したし、泣きながらいろんなことを打ち明けられる仲間もできたし、いろんな人のサポートを受けられているのでそれは本当に良かったなと思っているけど
たとえば長男が健常児であったら、もっと違う人生だったんだろうな…とか、今の夫と出会わなければよかったのでは…とかは、そこそこ頻繁にフッと思い浮かぶ事はあったりするんだ。

ただ、我が子は可愛い。間違いなく。

ということは変わらない。

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