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わたしの未来は、なないろ

今回はこの曲、よければ聴きながらどうぞ〜



「25歳なんて何にでもなれるじゃない、あなたの未来は100通り1000通りある。いっぱい挑戦したらええやないの。」


わたしより何十年先を生きてる、人生の大先輩がくれた言葉にひそかに背中押されて次のステージに行くことを決めた。

自分にとって新しい挑戦と大決心をした年でもあり、それと同時に25年の人生の中で1,2位を争うくらい嫌な出来事を経験した年でもあった2023年。

今までも言い表せないほど悔しい思いをしてきたし世の中って不条理で溢れてるって分かってたはずなのに。
自分が想像するよりも遥かに分厚くて高い、もうどうしようもないくらい理不尽な壁にぶち当たってしまって悔しくて、何度も泣きながら家に帰った。泣きながらご飯を食べたときもあった。

15の時のわたしが今の状況見たらどう思うかなあ。

「なんだ10年後の自分はこんなもんか」とか、「カッコ悪い社会人になりやがって」とか失望されるかもなんて考えたりもしたけれど。
あのときと変わらず、挑戦する気持ちを過去に置いてきたつもりはないし、一度追いかけ始めた夢を簡単に諦めたりはしない。そこは10年前も今も変わらないよ。


「あなたはあなたのままで素敵だよ」

「やりたいことやったらいいじゃないの、どんな選択だってみんなで応援するから」

みんながくれた言葉たちを心の引き出しに全部しまっておいて、もう心が負けそうって時に思い出しては何度も立ち上がって前に進んできた。

年が明けたらさよならの時期がくるのも新生活が始まるのもきっとすぐ。

だから、まだ終わらないで2023年。

それが無理ならどうか年が明けてからの日々はなるべくゆっくりと過ぎていってほしいなと願ってしまう。



地元に戻ってきてからの3年間周りの人たちに恵まれ大事にされ、たくさん幸せを願われて生きてきて、自分のやりたいことも追いかけたい、でもみんなと一緒にいる生活が続いてほしいっていう風にも考えたり。

最初はこの考えを後ろ向きな感情とか、覚悟が決まってないからだって捉えてたけど、後ろ髪引かれる思いになるのは自分が大事にされてるって実感できるほど、充実した素敵な3年間を過ごした証拠なんだよね。

今の場所を離れたからと言って思い出たちまで消えてなくなるわけじゃない、むしろ今までの思い出やみんながくれた言葉たちがこれからの人生のいろんな場面を支えてくれるんだと思うの。

絶対にわたしは1人じゃないってことを思い出させてくれるよ。

だから一度きりの人生死ぬときに後悔しないための選択を、やりたいことを突きつめる道を選ぶことにした。

今行動にうつさないで10年、20年もっと長い時間が経ったあとに25歳のわたしを嫌いになりたくないし、自分が走ってきた道を振り返った時に「あの時の選択はなかなか悪くなかったよね」って言えるようにしたいから。

人生の大先輩曰く25歳はなんにでもなれるらしいしね。


わたしの未来はわたしが思い描いた数だけ、挑戦した数だけ可能性がある。




あきらめ悪く生きていこうじゃないの、2024年!

何卒よろしくお願いいたします!!

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