20歳、絶賛思春期

こんばんは。

1人でぐるぐる考えたり何かに書くよりも、誰かに読んでもらうこと、聞いてもらうことを前提に、ここに書いた方が考えがまとまる気がするので書くよ。


最近、私の頭の中の大部分を占めているのは、私という人間の「価値」。
存在価値に悩むなんていかにも若者らしいというか、思春期延長戦(この言い回し、私っぽくてなんか好き)みたいな、なんだか子供じみた感じがするけれど、考えずにはいられないことなんだ。自分のためにね。

私が今みたいな人間になった経緯を整理していこうと思う。

「なんでも出来る私」に価値を感じていた

つきちゃんは、なんでも完璧にできちゃうね!
つきちゃんがいるから大丈夫だね!

これらは、小さい頃から私がよく言われていたこと。
勉強は人よりできた自負もあるし、しっかり者で、曲がったことは許さない正義感の強い子に見えていたと思う。周りには。

本当は、怒られるのが極端に怖くて、微妙な嘘をつき続けたり、できないことを認めるのが恥ずかしくて、挑戦することから逃げたり、外面だけ飾った「いい子ちゃん」のフリをしていた。
何でも完璧になんて、全然できなかった。


そんな感じで多分中学生くらいまで来てしまった。
成績は学年トップクラス、吹奏楽部の部長を務め、合唱コンクールや卒業式でピアノ伴奏をして、先生にも好かれる典型的な「いい子ちゃん」。
うーん、自分のことだけどだいぶ嫌だなぁ(笑)


とにかくここまでで、困っても助けを求められないプライドの高さ、精神的な弱さが根付いてしまった。
全部1人でやらなきゃ、出来ないことがあっちゃいけない、完璧に、完璧に、、、
数学の時間、分からない問題を隣の席の子に聞くことだって、プライドの高さゆえにできなかった。

だって、なんでもできないと頼ってもらえないと思ったから。
「できない」と弱音を吐いたら、人が離れていくと思ったから。
みんなが私を好いてくれるのは、完璧だからだと思っていたから。


今思うと、そんなことない。
できなくても笑顔で助けてくれる友人はいる。
できないことがある私を嘲笑う人がいるなら、離れればいい。
考えても分からないことは聞けばいい。分からないままよりずっといい。
何より、完璧な人間なんていない。

そんなふうに思えるようになってきただけで、少し気が楽になった感じがする。
できないことを開き直るのは良くないかもしれないけど、できないことを認めて、できるようにする努力はしていかなきゃね。


今回はこの辺まで。
存在価値、なんて抽象的でありがちなテーマでこんなに書いてしまって小っ恥ずかしい。。


思考のぐるぐるを整理するために、また自分語りをするかもしれません。
思春期なので、自分の考えと向き合うことも恥ずかしいですが、書いても考えてもどうせ恥ずかしいので自分がすっきりする方でいいよね。

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