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あのさ、みんな違ってみんないい、なんて能天気なこと言わないけど、みんな違ってみんなどっか変なのはふつうであたりまえだと思うよ。

あのさ、みんな違ってみんないい、なんて能天気なこと言わないけど、みんな違ってみんなどか変なのはふつうであたりまえだと思うの。
あ、みんな違ってみんないい、のくだりは、金子みすずさんの「私と小鳥と鈴と」の一説ではありません。あれはとてもいい詩です。

まずね、みんな違う、ってことを知らなすぎる人が多すぎるの。(これはこの国の教育のせいもあるけど、その話は長くなるからまた別の機会に)ある年齢まで培われた自分っていう存在が基準(ふつう)で、そこから逸脱したものに出会うと、受け容れられないの。自分の「ふつう」に当てはまらないものは全て否定する。傍から見てるとね、滑稽。

受け入れられないから嫌い、はわかるの。だって、みんな違うってことはみんなどこかいいって思われたり、変って思われたりしてるんだもの。思う方に好きと嫌いがあってあたりまえだと思う。

問題はね、変っていうのを嫌いって思うことじゃなくて、それを自分の「ふつう」に変えようとすること。そして、変わらなかったその人に怒りを覚えたり、蔑んだりすること。

たとえばさ、
毎日一緒に仕事しなきゃいけない変な同僚や上司や部下。
毎日一緒に生活しなきゃならない、発達障害だったり、老いて心身が不自由になった家族。
仕事の上で付き合わざるを得ない、筋の通らないご意見を言ってくる人。

みんなちがってみんなめんどくせぇよ。
そう思う自分もめんどくせぇ。
結果、生きるってめんどくせぇことにつきあったり、つきあってもらったりすること。つまり、それが人としてのふつうの生活なんじゃないかと納得するまでに30年くらいかかったよ。

あぁ!「ふつう」には数えきれないバリエーションがあるんだねぇ…

ふつう、の広大さと奥深さに気づいた夏の朝は特別。
これからは、「私はふつうよ」
と、堂々と思って生きていくことにしよう。




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