春、大学生、ひとり

多分だけど私が就活の集団面接なんかに行ってしまうと、なんかよく分からない課題に対し配られた白い紙に周りの大学生はなんかよく分からない計算式で期待値とかを計算しているのに恐れ慄きながら、なす術もなく目の前のコピー用紙と時間を持て余すのだろうなと思う。
周りが一生懸命にペンを走らせる音と、壁掛け時計の秒針の音と面接官の鋭い視線に怯え、黒と白い服を着た人達が収容されたやけに清潔感のある箱の中で、私一人だけが場違いだと感じざるを得ないのだろう。
ああいう学校で味わう集団の圧や恐怖は今でもトラウマだ。一生克服できないとほぼ確信している。

どこに行っても受け入れられないと感じる。
以前もどこかで書いた気がする。
春って私をそういう気分にさせてくるから嫌いだ。

たとえば、女の子のスマホの中。
TwitterやインスタにはAIがその人の好みに合わせて広告やおすすめアカウントが流れてくるけど、他の子たちのスマホにはどんなものが映し出されるのだろう。入っているアプリとかフォローしているアカウントとか、私と何もかも違うような気がしてしまう。でも、電車の中で同年代っぽい子のスマホを覗くわけにもいかないので答えが出せずにいる。
行動範囲も違うのだろう。
Googleマップで「喫煙可」というリストを作って席で喫煙できるお店をまとめたりしないのだろう。

冨永愛がYouTubeで「ずっとはみ出てる気分だった。」と言っていて、それがすごく共感できた。
見た目が明らかに周りと違っていて、露骨にそういう扱いをされてきた。
普通の女の子との違いから生まれる疎外感は今でも変わらない。
現に街を歩いていてもなんか違うなと思うし、向かい側から歩いてくる人が私を頭からつま先まで舐めるように見つめてくることだってある。
いつだって私を「なんか違う」ふうに扱ってきたのは周りだった。

別に、そんなことに捉われなくてもいいことは分かっている。
孤独が色濃い春。過ぎ去って誰かと外出することを強いてくるような夏。嫌いな季節。

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