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【思い出】小学生女子のマンガ創作事情

【これは世に言う同人誌では?】

2004年だったか2005年だったか。小学3~4年生くらいだった頃。同じ学年の女子たちのあいだでマンガを描くのが流行っていた。

かくいう私もその1人で、4コマのギャグマンガとか魔女っ子が活躍するファンタジーとかをノートにいそいそと描いていた記憶がある。お手本は『りぼん』の作品だった。当時の私は種村有菜先生の大ファンだった。

ある日、私と同じようにマンガを描いているとなりのクラスの女子たちに「一緒に描かないか」と誘われた。彼女たちが目指しているのはマンガ雑誌的なものの制作らしい。学年でマンガを描いてる子たちから作品を集めて1冊の冊子にしたいみたいだ。

今ならわかるがそれ、同人誌やん。彼女たちは同人誌のどの字も知らないうちから同人誌の発行を計画していたのだ…。

なにはともあれ、私はその話に乗った。

発行者であり編集者である彼女らが、私や他の子から紙に描かれた作品を集め、ページが順番通りになるようにホッチキス止めし、表紙を参加者の中の誰かが描いた。

子どもの手作業だからちゃちではあるものの、そうして私たちの共同マンガ冊子は完成した。ちなみに私がどんな話を描いたのかは全く覚えてない。

それは、誰でも自由に読めるように廊下のロッカー棚に置かれ、通りすがりに立ち読みしてくれる同級生もそれなりにいた、と思う。

共同制作の味を占めた私たちは、第2号、第3号と続刊を作った。中には連載なんかを始める子もいた。

【これは世に言う引き抜き】

そうやって活発に創作活動が続いていたある日、仲間割れ事件が起きた。

最初に私に声をかけてきた発行代表者グループの女子たちのうちの1人が、新しく別の冊子を立ち上げる動きを見せたのである。

なぜそんなことになったのか、一参加者でしかなかった私にはわからない。が、その新冊子の制作に私は誘われた。

これも今ならわかる。そう、作家の引き抜き…!

なーんか仲間割れや揉め事に巻き込まれそうだな~と察した私は、とりあえず返事を保留にした。

【これは世に言う囲い込み】

そうこうしているうちに、旧冊子の代表の子から、こう言われた。

「あっちの新しいほうのマンガ作り、いろんな子に声かけてるみたいなんだよね、気をつけて」

もう声かけられてるよ…。私は正直にそれを伝え、こう言った。

「両方で描いたらダメなの?」

「ダメに決まってんじゃん。どっちの味方するのかはっきりしてよ。ていうか向こうのを断って!」

ダメらしい。これも今ならわかるぞ、作家の囲い込みですよね…!

とまあ、これを発端に両グループは揉めに揉めて、関わっていたマンガ女子たちは皆巻き込まれた。

結局私がどちらの味方になったのかは覚えていない。ただ、どちらかのグループが、立場をはっきりしない私に焦れて強引に原稿の取り立てに来たのはうっすらと覚えている。いや、今思うと怖すぎんだろ…。

【そして解体消滅】

たぶんその後はみんなマンガ作りに飽きて、次の楽しい遊びが流行ったんだと思う。小学生の興味関心なんてそんなもんだ。少なくとも私は小5になってからは、マンガなんて忘れ、男女混ざってのトランプ大富豪とケイドロ(ドロケイとも言う?)に明け暮れていた。

いつの間にかマンガ制作集団は自然消滅していた。

まさかあんな田舎の小学校の100人にも満たない児童数の学年のさらにマンガを描く女子という少ない人数の中で、齢10歳頃にして同人誌もどき制作から派閥争い、引き抜きに囲い込みまで経験するとは思わなかったな……という、思い出話でした。

……え? 今の私? マンガはもう一切描いてませんね。でもあのマンガ冊子参加者の中には将来、イラストやアニメを仕事にした子もいるから、みんなが飽きて離れていってもずっと描き続けてたんだなと思うと尊敬する。

やっぱ継続は力なりなんだなあ………

………と、いい話っぽく終わらせる緒霧であった。おしまい。

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