トクサツガガガ雑感とドラマ第六話感想

NHK「ドラマ10」で現在絶賛放送中の『トクサツガガガ』。「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で連載中の漫画が原作ですが、原作再現度も高く、CGによる漫画的演出も無理なくドラマにフィットしていて最高のドラマ化となっています。原作はまだまだ連載真っ最中で現在15巻まで出てますよ。

この物語で児童向け特撮オタクがピックアップされているのは作者の丹羽庭先生が特撮が好きというのももちろんあるのでしょうが、児童向け特撮オタというのがいわゆるエンタメ作品系のオタクの中でもとりわけ狭いジャンルのオタクで誤解されがちな存在だからだと思います。オタクジャンルの中でもメインストリームにいる人たちから見ると知らない部分も多いという。そこがまた新たな気づきを与えてくれるわけなんですよね。たんなるオタクあるあるだけに終わらない良さがこの作品にはあるのです。

主人公の仲村叶は隠れオタク。その根底には特撮嫌いの母から趣味を全否定され現在進行形でステレオタイプの古臭い「女らしさ」を強要され続けている抑圧があります。仲村母は自分の「正しさ」を信じて疑わず万人に巻きちらし同化しようとする存在。この仲村母を物語のラスボスに据えているという事が逆説的に『トクサツガガガ』のテーマを浮き彫りしています。

ドラマ版ガガガ最新話の第六話は最終回直前にしてそのメインテーマにガツンと切り込んだ非常にキツイ話になっていました。あまりにもきついのでここに吐き出して心を落ち着けたいです。

ツイッターにも吐きだしたりしたので似たようなツイートを見たことあるかもしれないですが気にしないでほしい(オタジャンルアカウントであまり騒ぐのもどうかと思ってこっちに来ました)。ドラマ、原作漫画のネタバレありです。

■六話以前までの話はすべて前振りだった

今回のドラマ化は長い原作を七話に収める為に話の順番をシャッフルして再構成したりエピソードを組み替えたりしてるのですが実にそれがうまく決まっています。

「スキなモノはスキ!」というメインテーマを一貫してぶれずに描いています。心に「好き」を持ち続けることの素晴らしさ。様々な状況をシミュレーションし、辛い仕事も嫌な勉強も「好き」があるから乗り越えられるという事を教えてくれるのです。そして同時にそれを邪魔する世間の軋轢との闘いが裏テーマ。「好き」の喜びの後ろにある苦しみも存分に描いています。苦しいけれどそれでも好き。「好き」は絶対手放せない。だからこそ苦しい。でも好き……という、ね。

思えば前回五話はひたすらに楽しいオタクライフとゆかいな仲間たちが描かれました。「好き」の尊さを存分に描いています。就職活動前の後輩を描くことでたとえ大人になっていろんな事が不自由になってもオタクである限りズッ友だよ……という絆の深さやオタクの業みたいなものも浮き彫りになっています。仲村さんたちレベルの濃いオタクになると、オタクライフというのは単なる趣味を越えて人生そのものなのだという事を示唆しているのです。

(余談ですけど戦隊モノやライダーなんかでも唐突に箸休め的なギャグ回が入ることがあり、シリアスな雰囲気をぶっこわしてきたりするんですがこの五話もそんな特撮の構成を意識してるのかもしれない。夏を舞台にしてるのもギャグ回とかって大概お子様が帰省などであまりTVを見ない夏休みによくあるからかもしれません。そして特撮でもギャグ回の直後に超絶シリアスが来ることよくあるんですよね……)

■そして六話前半も壮絶な前振り

やってきた第六話。前半の展開もすべて後半への伏線。趣味は違えど特撮映画に付き合ってくれる北代さん、付き合ってる彼の存在が出てきてオタクと世間(恋愛)との間でぐらぐら揺れる吉田さんなどなど……、特に対比となるのが任侠さん母の話です。

女児アニメ『ラブキュート』のオタクである任侠さんは仲村と違い母親にもオタク趣味がばれています。任侠母はオタク趣味を理解できないという点では実は仲村母とまったく同じです。いい年こいた大人がアニメを見るなど引くし、正直犯罪者予備軍になりそうで心配とまで言ってしまう。典型的な宮崎事件(調べてね)を体験した世代の親という感じです。しかし、この二人の母には決定的な違いがあります。

小学生の頃、体が大きいせいで無用の期待を掛けられそれにこたえられないプレッシャーから不登校になりかけた任侠さん。そんな彼に勇気を与えてくれたのが当時から放送していた『ラブキュート』シリーズだったんです。

暗い部屋でひたすらにテレビを見つめラブキュートに夢中になる任侠さんを見て理解できねぇ~と思いながらもその根底にある「好き」という気持ちが任侠さんにとってものすごく大事なものだという事だけはしっかり理解したんですよね任侠さんの母は。この気持ちがあるおかげでこの子は頑張れているんだなって。好影響を受けているのだととらえてくれたんですよ。だから任侠母は任侠さんから『ラブキュート』を取り上げることはしませんでした。今でも内心は止めてくねえかなぁーとは思ってますがそれ以上は踏み込みません。

固定概念を持ちつつも、最終的な判断は息子自身をしっかり見て決めています。そこへは自分の子どもへの確かなまなざしと愛情があるのです。それが後半の仲村母との対比となって響いてきます。後で挟まれる「テレビきっず焼きイモ事件」回想と比較するとえぐすぎる(幼少仲村が大切にしていた特撮幼児雑誌を母に焼かれ焼き芋作られる事件。原作二巻で登場)

(またまた余談ですが一瞬映る任侠さん小学生の時のランドセルが当時の男児のスタンダードであった黒ではなく可愛らしい薄茶色なんですよね。息子がこれが良いと言ったものを文句はあっても買ってくれる任侠母の姿が見えるようです。ここにも黒いランドセルを買ってもらえなかった仲村さんとの対比が見えます)

そしてラストに挟まれる特撮シーンに出てくる「毒濁刀」が六話の展開を実は間接的に表してるんですよ。原作でもちょくちょく出てくるこの刀は強大な力を持つ悪の刀で、毒を持って毒を制す的な代物。今回それを正義側であるシシレオーが手に取る。相手が大いなる毒で切り込んでくるため、こっちも毒で対抗しないと勝てない敵というのがゲンカ将軍なわけなんですが、作中ではゲンカ将軍は仲村母のメタファーなんですよ。もうこの時点で私は六話に戦々恐々でしたね。使い方を間違えば世界を滅ぼしてしまう……!!

■「正しさ」VS「好き」

思うに仲村さんがあれだけ「好き」を否定されながらも健やかに真っ直ぐ成長し素敵な女性になれたのは決して仲村母が幼少期に特撮を取り上げたからではなく単に運が良かったからです。

仲村さんは根っこが社交的で任侠さんのような引きこもり体質ではなかったし、兄がいて同じように毒親に苦しめられていた為二人で苦しみを分割できたという点でラッキーだったんですよ。これで兄が理解者じゃなかったり一人っ子だったらメンタルブレイク待ったなしの展開になっていたかもしれません(毒親には結構片方の子どもだけ虐げ片方だけ贔屓というパターンも多いので両方平等に虐げられてたのは良かった…とは言わないですがまだ救い)。

物語後半、兄夫婦から突然告げられる母来襲の知らせ(合鍵作られた―!)。映画を見ていた仲村さんは反応が遅れてしまいます(兄嫁も協力してくれるの泣かす。仲村さんがいい人だからいい仲間が集まってくるの特撮さながらに熱い)。

部屋の特撮グッズを隠すのは時間的に不可能。その為仲村兄の知恵を借り母を外食に誘い出す仲村ですが、実はすでに映画上映中に仲村母は仲村の部屋に侵入した後だったのです(手遅れ!)。

高級割烹店みたいなところでシシレオーのフィギュアを取り出され場違い感にいたたまれなくなる仲村。これは一般社会に無遠慮に放り出されたオタクのメタファーそのもの。こんなところで表ざたにされると恥ずかしいような趣味を持つんじゃないと言いたいのでしょうがそうじゃない。4話の北代さんを思い出してほしいです。自分は身の丈に合った場所でこっそりと活動していたのにそんなところにいちゃだめだと勝手に引きずり出したのはそっちだと言いたいよな!

それでも仲村は母親を嫌いなわけではないのです。離婚後母一人で子供二人を大学まで進ませてくれた苦労も知っています。だからこそ理解してもらえないのが悲しいのです。その為この状況になっても最大限の理性を発揮し言葉を選んで理解を得ようと頑張るのですが……。

そんな仲村に対して母が選んだのはなんと平手打ちによる鉄拳制裁。唖然としましたね。しかも平手打った後の表情にも全くためらいがなく、ああこの人はきっと日常的にこうやって子どもにいいきかせてきたんだなと分かる感じで。自分の正しさを疑っていない仲村母は最初から仲村の話なんて聞くつもりがないと示されるシーンです。

人に誇れるまっとうな人生を歩み若いうちいい人を見つけるという仲村母から語られる平均的な女の幸せを「なんだかんだ言って正論」という人もいるでしょう。私もそれなりに年寄りですから平均的に生きることを子どもに勧める理由も分かります。世間的な普通を外れて生きることは茨の道であるのも現実ですからね。それでも私はこの「正しさ」を到底認める気にはなれません。

だってその「正しさ」には中身がありません。世間体という外的なものから得た価値観にすぎません。そこには仲村自身の人生が全く加味されていないのです。仲村母は盲目的にこうあれば幸せになれるはずというマニュアルを比較検討もなく押し付けているだけです。これを押し付けと断定するのは前半に同じマニュアルを持ちながらも自分自身の息子と比較検討しきちんと対処した任侠母の存在があるからです。仲村母の間違いは固定観念を持っている事ではなく娘の真の姿を全く見ようとしない事なのです。

仲村の「好き」全否定する仲村母。これって自分自身を拒否されるのと一緒ですよね。自分のことだけならまだ耐えられましたが、ついには友達の存在まで否定され怒りがピークに達しようとしていた時仲村母によってシシレオーフィギュアの腕が無残に引きちぎられてしまいます。

これってね。見せしめなんですよね。かつて「テレビきっず焼きイモ事件」がありましたがあれと一緒です。単にゴミと思ったから燃やして捨てたというような軽い感情ではないと私は感じました。「また雑誌が溜まったらやろうね」という仲村母の言葉からはこれは単なるゴミにすぎないんだよという言い含めの意を感じるからです。この趣味を続けるならまた同じ辱めを与えてやると言う脅しです。しかも本人にとっては正しい指摘で脅しという自覚がないというところになおさらの闇を感じます。でも脅しですよ、脅迫なんですよこれは。

激昂が頂点に達した仲村はついに「じゃかあしい、クソババア!!」という悪口と共に平手打ちをお返ししてしまいます。そして親子の縁を切るとまで言い放つのです。親子の縁を切るというのに今まで仲村につかってきた金はすべてかえすともいう仲村に内心にやどる親への感謝が残っているのも感じられ切な過ぎるシーンです。

このシーンを「でも親に手を上げるのは良くない」という人も結構いるんですけど、むしろこのシーン手を上げる以外何をすればいいのか私は疑問。既に序盤で冷静な話し合いと好きなものを認めてほしいという理性的訴えはしてるじゃないですか? それに対しての仲村母の答えは平手打ちなんですよ? 子どもが親に手を上げるのは~という人が親が子どもに手を上げる件に関しては結構スルーなのが不思議だしそこには親が子供に言い聞かすに多少の強弁をふるうのは当たり前とか趣味というものをどこか軽んじているような価値観が薄ら見えて恐ろしく感じます。

わが子に対して親子としてのルールを最初に違え「毒濁刀」を振り回していたのは仲村母の方です!
それこそ小学生の頃からずっとです。それに対して仲村はこの回のあのシーンまではずっと正義の剣で戦い続けてきていたのです 。その正義の剣(中村の理性的訴え)が全く通用せずもう何も打つ手がない……という事がここまでの物語中丁寧に描写されてきたのです。仲村に残された最後の手段はもう暴力・暴言(毒濁刀)による強制リセットしかないのだと。

もちろん今まで通りなあなあで誤魔化して終了っていう道もありますけど、この状況でそれをすることは仲村自身が仲村の「好き」を捨てる事に等しい。そんな事できっこないということはこのドラマの5話までを使ってやってきたんだから分かります。

私は中村母は正しいとは思わないし、もっと言えば中村も正しいとは思わない
皆正しくなどない でも常識とか世間的正しさだけを盾にされるのはどうにも気分が悪い
世間的な正しさなど自分の人生の幸せを担保してくれないし、幸せは何かが好きという気持ちの先にあるものだと思っている
世間にあわすことで安心を得られるならそれに沿うのは悪くないと思うけど誰もがそうできる訳じゃないし世間にあわすことで逆に苦しくなる任侠さんのような人も少なくはないのだ
だから中村母の示す「これがあなたの幸せなのよ!」という意見にはこれっぽっちも賛同できない
「これが正しいから従え」を当たり障りのない形に言い換えているだけの根拠のない我欲でしかない
最後に中村が手を上げたことについて「親に手を出すのはさすがにダメだろ」というむきもあるけどあそこではあえて「お前などもう親ではない」という宣言のためにむしろ手を上げる必要があった
親だから娘を殴るのは当たり前とばかりに殴りつけてきた親に対し「私はあなたの娘ではなく一人の人間である」という必要があったのだ
もちろんそれを言葉だけで言えれば言うことはないが、最後の砦である仲間たちをバカにされたというメンタルブレイク状態で冷静なのはリアリティがなさすぎる
むしろ今まで理性的な歩み寄りを再三してきたうえでの爆発なんだからああなるのはむしろ当然だ
最終的には穏やかなところに落ち着いては欲しいもののどういう結果になるにせよ中村と中村母はいったん「他人」となって話し合う時間が必要なのだだからこその絶縁ビンタだ
親だからというだけで丁重に親愛を持って扱わねばならないという世間的な正しさが実際に毒親に苦しめられている子どもたちをどれだけ苦しめているかは私たちのような理解ある親に育てられた子どもたちでも想像はしなきゃいけないと思う 安易に親だから大切にしよう従おうは違う(ましてや中村はもういい年こいた独立した大人だ)
(私の親は任侠母タイプで本当に感謝している)
親とケンカしてもいいし、逃げ出してもいいし、大人になればガチバトルだってできるんだという事が救いになる人たちだっているんだろう
綺麗事じゃ話は進まねぇ~んだよなぁ~って事なんですけど本当にこのくだりよくNHKはドラマ化してくれたなってGJすぎます
(ツイにふせったーで投稿した感想の一部より引用)

以上がツイの感想(中村は仲村の誤字です、すみません)。

毒濁刀リセットは確かに「正しい」ことではありません。でも、相手がすべての正当な攻撃を先回りして潰してきたわけなんです、親という権力を使って。そんな中で自分の「好き」を守るために憎むべき悪と同じ武器を使わなければならないところまで追いつめられてしまったというシーンなんですよ。アレはそういう悲劇であり決してスカッとするモノしては描かれていないと思います。仲村だってこんな結末は決して望んでいなかった。でも自分と仲間を守る為例え毒に身を浸してもやらざるを得なかったのです。

親に手を出すのはいけないよな、という人はせめてあのシーンでじゃあどうしたらよかったのか具体的に提案してほしいところです。話し合いしろというのはなしですよ? 既にやってきた上での破綻が描写されてるんですから。あのシーンでは毒濁刀をふるう(仲村母と同じ武器で戦う)か、仲間たちを捨て敵に迎合する(「好き」を捨てる)かこの二つしか事実上選択肢がない状態だったと考えているので(出先という自由がきかない空間であるし)、私は毒濁刀リセットを選んだのは正しくはないけど仕方ないというスタンスです。

こうやって感想を書いてみると劇中劇の特撮が本当に上手にドラマ内の現実とリンクしているのが分かりますね。同時に今の仲村さんを作り上げてきたのが特撮から教えられた色々な教訓であることもよく分かります。特撮は仲村さんの第二の親といっても過言ではない存在。大切な事は皆特撮から教わった……というのは決して大げさではないのです。

そう考えると今まで「仲村に掛けてきたお金を返却する=親子の縁を切る」と換算されてしまう仲村母の哀れさが際立ちます。心を尽くしてきたつもりなのに娘に届いているのはお金の苦労だけ。他に受け取った物など何もない。言外にそう言われたも同然。すべてを捨てて娘を育ててきたつもりだったのになんとも無為なことですね。

■これからどうしていくべきか

最悪の結末を迎えてしまった第六話。次回はとうとうドラマ最終回。問題はこの決着をどうつけるかです。調べてみたところ実は原作では六話で描写された大ゲンカ勃発からまだ解決の糸口を探っている途中。親子の関係の結論がまだ出てないらしいのです。つまりドラマがどんな結末になるかは原作既読者のみなさんにも分からないのです。

仲村側は長い時間をかけて成長し母と戦えるメンタルを成長させてきたわけなので問題の解決に必要なのは仲村母の成長と思われます。しかしドラマたった一話で成長できるほどあの母親の価値観はヤワじゃないと思われるため穏便な解決法が思いつきません。私は正直ベタなお涙ちょうだい和解劇をみせられるくらいなら絶縁エンドの方がまだハッピーと思っているので別に積極的に和解しろとは思ってないですが。

とりあえず物事の解決の為に必要なのは対象をよく知ること。仲村母は何故あそこまで娘に強弁に普通の幸せとやらを押し付けるのかという根本を理解しなきゃならないでしょう。

第六話で仲村兄が説明してくれたように基本は離婚して女手一つで育ててきた娘に何不自由をさせたくないという親心。問題は仲村母と仲村の欲しいものが全く正反対だったことなんですよね……。ここでもし仲村が一般的な女の子の好みを持った子なら問題は表面化せずに済んだかもしれません。

でも結局仲村が結婚して子供ができたりすれば姑としても色々問題行動起しそうなので問題が先送りになるだけではという気もします。今とは逆に母親にべったりの共依存関係になる可能性もあったしどちらにしても毒です。むしろ正反対だったせいで取り込まれることなく自立した女性になれたとも言えます。

仲村母は離婚後子どもを育てるために自分の欲望をすべて捨て子どもの為に尽くしてきた女です。独り身ゆえそうせざるを得なかった。すべてはそこから始まっています。

「好き」を否定されるという事は自身を否定されるに等しい
理解できないことがあるのは仕方ないけど相手の「好き」を大切にしない人は自分自身の「好き」も侵害される可能性があるということ
だから中村さんは周囲の人に優しくあろうとするんだ
(11:54 - 2019年2月23日 のツイッターより引用)
でも中村母のようにそもそも絶対的「好き」を持ってない人は侵害されるものがないから…ある意味怖いもの知らず
だからこそ無遠慮に突っ込んでくる
でもその規範とする「正しさ」は外的なものだから「好き」と違って絶対的じゃない
どっちがいいとかじゃなく両方持ってないといけない
(11:56 - 2019年2月23日 のツイッターより引用)

仲村母は「好き」を捨てた女です。だからこそその捨てた「好き」に対する未練を残してはならない。「好き」を正当化できない。そして「好き」を捨てた自分を正しいと認めさせたい。そうでなければこれまでの人生のすべてを否定される。そういう感覚があると感じます。そして「好き」を持っていないゆえに「好き」を傷つけられる苦しみを知らない……だからこそ無敵なのです。さながら特撮で「愛など知らぬ! そんなものがあるからお前は弱くなるのだ!!」とか言ってくる敵役ようです。

仲村母は死別とかではなく離婚なのでなんらかの不一致があっての不幸な別れと思われます。そして、仲村家にいわゆる祖父母の気配が一切感じられない事と離婚の事実を組み合わせて考えるとそもそも仲村母の結婚は両親から祝福されないものだったのではと類推されるのです。ここら辺もしかしたら原作の私の読んでない部分に答えがあるかもしれないので頓珍漢な事言ってたらすみません。どちらにせよ離婚の時点で仲村母の両親とは完全に疎遠なのかなとは感じます。

そう考えると仲村母が親の意見を聞くのが子供の幸せと考える根底が分かるような気がします。自分自身が親のいう事を聞かず失敗した過去があるんじゃないでしょうか。同じ失敗を娘にもさせるべからずと。何だかんだ親の言うとおりにしてればなんとかなると。そういう思想があるのでは。そして個人的な「好き」を捨てたのも自身の欲望のままに走り結婚に失敗したと推理すると単に経済的物理的問題だけではないのかも。文字通り「愛などいらぬ!」なのかもしれません(私は原作の序盤しか既読しておらず後のエピソードはとびとびなため、原作との事実確認できてないので本当に妄想であることをお断りしておきます)。

ダメだ、根深すぎる。こんなの一話で解決できるか!? しかも来週は仲間たちとのいざこざと和解もあるんでしょう? どうするどうなるNHK。

仲村母にはもっと違う価値観とぶつかりげいこする必要がありますね。祖父母の干渉とかいうのがうまい具合に親のエゴを緩和してくれることもあるのですが仲村家にはそういうのもないし(例:親に反対されてる戦隊映画にダミアンを連れて行ってくれる祖父母)。人からの忠告というものを親になってから受けた経験がないと思われる。あっても聞いてないと思うし。

仲村母は確かにムカつくし腹も立つんですけど虐待事例などで虐待する側をいたずらにせめても問題は解決しないのと一緒で仲村母を責め立てても仲村は救われないのです。まあそれはそれとして仲村母は危険なので遠くに逃げるのは正解なんですけど。

むしろ仲村母が「私にもやりたいことあるし大学とかは自分の金でいきたきゃ行って!」くらいのちゃらんぽらんな方が仲村はまだ救われていたのかも。世間的にはダメな母でも子供のニーズに合っていればオッケーなこともある。親子関係はオーダーメイド。正解は星の数ほどあるのです。

やっぱり自分自身というものを持つうえで世間的な「正しさ」と個人的欲望である「好き」は両輪にバランスよく持っていなきゃダメだよな……と痛感させてくれました。仲村母もまだ子どもたちをまっとうな心で愛せていたらそれが「好き」になっていんだろうにと対極の任侠母を見ると思ってしまいますね。

仲村母の目に映っているのは常に「輝かしい未来の先にある理想の子ども」であって本当の仲村ではない。だからアレを親の愛とは呼びたくない。仲村母にも同情の余地はあるけどそれとそれはそれ。親のカウンセリングを子どもがする義理はないのです。毒親=悪親ではないのは分かっているけどダメなもんはダメだ。親だから許そうねーとかそんなん無しだぞ。

頼むから仲村母には真の意味での「好き」を見つけてこれからでも遅くはないので第二の人生を歩んでくれ。自分自身の空っぽさを自覚する事。それが仲村母へのお願いです。辛いでしょうが自分自身は子どもにそれに匹敵する苦しみを与え続けてきたんですからお互いさまだと思うな。ある意味自身の苦しみから目をそらすため無意識のうちにいままでは子どもの人生を生贄にしていたともいえるんですよね。でも子どもにも子どもの人生があるから……グッバイ仲村母ですよ。

とにかく来週どうまとめるかをハラハラしながら待ってます。変にキレイにまとめるくらいなら中途半端な結末でもいいのでなにがしかの希望の種が見えるラストだと良いなと思います。

あんまり辛いのと、今回の前半で出た北代さんのアカガニ発言がツボに入った為思わず今やってる↓を録画してしまいました。

アカガニ祭りやってたのー!!(先週からだったのか)

私はもうニチアサ卒業して結構たってるので最新のものは分からん状態ですが久々に懐かしく見てしまいました(元ライト特オタ)。今見るとちょっと子どもっぽさを感じてしまったり、でも心穏やかになったり、こまけーことはいいんだよ!な感じになったり意味は分からんけど勇気が湧いてくるよな……。仲村さんもこんな気持ちかななんて思いながら見ました。ホント来週どうなるんですかね。

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