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向こう側の景色

一緒に海を眺めていたら、言葉なんていらないのかもしれない。


平日の人影まばらなミュージアムカフェ。
義母とふたり、コーヒーを飲みながらふとそんなことを思った。


ガラスの向こうには、一面の海と大きな橋。
瀬戸内の海は、今日もおだやかだ。

「お母さん、その後体調はどうですか?」

そうたずねると、物静かな母は、ポツリポツリと自分の体のことを話し出す。


本州と四国をつなぐ瀬戸大橋の色はライトグレー。
東山魁夷が「景観を壊さない色を」と提案してこの色が採用されたという。
わたしたちのいる「香川県立東山魁夷せとうち美術館」も、同じくライトグレーの壁と大きなガラス窓でできている。


手元のカップの上では、色とりどりの刺繍のような小鳥たちが相変わらず賑やかだ。彼らは東山魁夷の北欧紀行「古い町にて」の挿絵に登場するモチーフ。
美術館のオリジナル食器として、静かな空間に彩りを添えている。

「静謐な風景画の名手」

魁夷について私が知っていたのはそれだけ。
彼がこんなに軽やかで明るい絵を描いていたのを知ったのは、義母に連れられて初めてこの場所を訪れた時のことだった。

仲良しだった川端康成が寄せた序文から始まる紀行文には、北欧での著者の素直な驚きや感動が飾らない言葉と絵で綴られていて、遠い地の様子が温度を持って感じられる。この人可愛いなぁ、そんな気持ちになる。
魁夷の描く雪国の絵を見ても心までは冷たくならず穏やかな気持ちになれるのは、その人柄によるものかもしれない。
遠い海の向こうを思う時、人の体温を感じられるとホッとする。


今日は、「またあの美術館に行きたい」とリクエストして連れて来てもらった。


帰りにミュージアムショップで、コーヒーカップと同じモチーフが描かれた陶器のスプーンを見つけた。

「一緒のにしようか」

ふたりして少し照れながら目配せする。
お揃いなんて気恥ずかしくって煩わしくって好きじゃないけれど、母となら悪くない気がした。
人のお母さんにこんな気持ちになることがあるなんて思ってもみなかった。



母と別れて飛行機に乗る。
家について、到着の報告をLINEで送ると

「またいつでも遊びに来てね」

と名残惜しそうな返信がすぐに届いた。

その日の夜中、また母からLINEが届く。
滞在中、母にプレゼントした自作LINEスタンプ。
白いネコが画面の向こうで泣いていた。

他に何も送られていなかったから、
「間違って押しちゃったのかな」と寝ぼけた頭で思いながら、「チラリ」と物陰から同じ白ネコが顔を覗かせるスタンプを送り返したきり、眠りに落ちた。
朝、思い出して画面を開くもやはり返事はない。


起きてきた夫に話すと、
「おかん、さみしかったんじゃない?」と言う。

お母さん、私もだよ。また一緒に海を眺めに行きたいなぁ。
そう思いながら、母にフォローされているSNSのページに海の写真をそっと残した。


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 - 今回の美術館 -
香川県立東山魁夷せとうち美術館
https://www.pref.kagawa.lg.jp/higashiyama/

瀬戸大橋の麓にある小さな美術館。
陸側から見ると、広大な工業団地を抜けた先の森林公園の中にぽつんと建っている。直島のベネッセミュージアムや、街中にある猪熊弦一郎現代美術館と比べると、観光客も少なく、地味な美術館かもしれない。けれど、橋と同じ淡いグレーのコンクリートとガラスでできた建物は、強い主張はなくとも静かな存在感があって、そっとこの地を見守っているようだった。
2つのフロアからなる展示室には、所蔵作品だけでなく、季節ごとに異なるテーマで各地から借り入れた魁夷作品がゆったりと展示されている。国内の風景にはじまり、海外を旅して描いたもの、書籍の表紙として描かれたものなど、展示数は多くないものの幅広い作品が楽しめる構成だ。他の美術館から出張して来た絵画たちも、海のそばの開放的な空間に飾られて、さぞ気持ちが良いだろうなぁ・・・集められた絵画たちもこの場所をのびのびと楽しんでいる、そんな気がしてくる。絵画の海をひとしきり旅した後は、ミュージアムカフェで、ぼんやりと瀬戸内海を眺めながら休憩することをおすすめしたい。海の向こうに魁夷の目にした風景が浮かび上がってくるかもしれない。



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