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評価による心のゆらぎについて

「自分を眺めるもうひとりの自分」をどう育てるか。それによって、心の安定度が違ってくるように思う。
以下は、かなり正直な私のケース。

・お会いした人から「良い感じの方ですね」というコメントをもらった ↑
・謝礼の額の件で尊敬する講師を怒らせてしまい、以降嫌われてしまった ↓
・過去の業績から「あなたに期待している」と言われた ↑
・調整の順番を間違えているところを上司に見られ叱られた ↓
・「問題の部下をよく育ててくれた」と言われた ↑

どのケースも多かれ少なかれ、相手の受け取り方が影響しており、自分としては「そこまでのことはしていない」と言いたいものばかりである。
それだけ人と人との間には認知のずれがあるということで、快 ↑の反応はありがたく受け取り、不快 ↓の反応に対しては素直に謝り対応を改善すればよい。
不快 ↓の反応を見せ続けている相手に関しても、こちらからはフラットに働きかけ、まあまあの関係が続けられればそれでOKである。
 ↑も ↓も、それ以外の斜め線の矢印も、トータルで見れば良くも悪くもあり、良くも悪くもない。白ではなく黒でもなく、グレーである。
若い頃は ↑に有頂天になり ↓に傷つき落ち込んだものである。今だって嬉しがったり傷ついたりするが、「そんなもんでしょう」と遠くから見ている自分がいて、過剰な反応を掃き清めていく。
翻って、自分が評価する場合はどうだろう。やはり、自分ができないことをしている人への評価が高くなる。自分と同じ方面の活躍に対しては微妙な感情が混じる。人が出来ていないことに対してはかなり甘い気がする。いずれにしろ歪んでいる。そんなもんでしょう、と思う。

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