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私の庭

朝5時。うぐいす、ひよどり、ほととぎす。からす、すずめ、はと。あまがえる。
季節毎に変わるいろんな声の合間に、遠くでトラックの走る音がする。飛行機の起こす大気の音がする。
まだ日は昇っていない。庭はうす青く、露に濡れている。
私の庭仕事が始まる。

結婚して新しい家に来たとき、土地は一面の砂利だった。
好きな風に草花を植えられるのが嬉しくて、庭の形を絵に描いた。
夫が土を掘り、私が苗を植えた。
できあがった庭は、粘土のような赤土と園芸用土が混ざって、まだぎこちなく見えた。

育休の後も、仕事は相変わらずハードで、庭まで手が回らなくなった。
夫婦して子どもの寝顔しか見られないのが嫌で、夫が主夫になった。
夫に子どもを任せ、寝に帰る日々。仕事はやり甲斐があり楽しかったが、とにかく体力と時間を消耗した。庭はたくさんの草花が枯れ、雑草が生い茂った。
そんな中でもいくつかの花は、美しく育ってくれた。

たまにしか見ていないのに、手に取るように思い出せる。3月にはゆきやなぎの白い花。6月にはゆすらうめの赤い実。次には白いアガパンサス。その後咲き出す小さな青いあさがおは、11月頃まで庭のあちこちに顔を出していた。
雑草も、それはそれでよかった。春はたんぽぽの黄色、ほとけのざの赤紫、クローバーの白、おおいぬのふぐりの青。夏はえのころぐさがいっぱい生えて、ふわふわの緑のしっぽがかわいかった。冬になると、フェンスにからみついていたさおとめばなが実り、金色の房をつけた。
私はなんにもお世話してあげられないのに、ただただ仕事に夢中になり、ただただ疲れて寝に帰るだけなのに、庭は逞しく、きれいだった。

庭は子どもたちの遊び場でもあった。
泥水を作ったり、アリの巣を観察したり、雑草を育てたり。ゆすらうめの実はおいしいおやつになった。
夜中まで仕事していたので、庭を見られるのは朝、仕事に行く直前だけ。チューリップは植えるだけ植えて、咲いている姿は仕事場から想像するだけだった。
子どもたちの姿は夜、夫がビデオに撮ってくれたのを観て楽しんだ。寝る前に子ども部屋で寝顔を見るのが幸せだった。
たまの休みに、たまに見る庭は、子どもたちの姿と共に心の底に残って、仕事場の私を勇気づけた。

50歳になり、子どもも成人し、もうやれるだけやった、仕事場で培わせていただいた土台の上に、今度は私のやりたいように人生を積み上げていきたい、そうやって仕事を選び直し、1日の時間配分も自分で決めた。
私の手で手に入れた。大切な、大切な日々の暮らし。

朝5時。雑草を抜き、枝を切り、花がらを摘み、コンポストヘ入れるものと日干しして可燃物に出すものとに分ける。
ハーブや野菜を収穫し、洗ってざるにならべる。
虫がいないか点検し、必要に応じて薬をほどこす。
貯めた雨水をじょうろに入れ、水の足りていなさそうな植物に水を遣る。
たまに追肥したり、挿し芽で作った苗を植えつける。
ハーブと花と野菜の香り、樹木の香り。土の香り。乾いた日には乾いた香り。湿った日には湿った香り。虫たち。鳥たち。温度。風。空の色。朝が近づくにつれ、庭から青さが抜けていき、あるときオレンジ色のまっすぐな光が差す。

子どもたちは定期的に帰ってくる。母さん大好きだよと、言ってくれる。
夫は時々アルバイトに行きながら、保存食作りを楽しんでいる。
ずっと積み上げてきた日々。これから積み上げていく日々。
私の庭。私の日々。

私はコーヒーを入れに、家の中に入る。
1杯は自分に。1杯は、もうすぐ起きてくる夫に。
私の1日は、まだ始まったばかりだ。

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