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ロサンゼルス・ニューヨーク旅行記  その6(最終回) 檻の中の幸せ

 このシリーズの最初に述べた様に、2024年2月22日から3月6日の13日間、生まれて初めてのアメリカ観光旅行に行ってきました。足掛け三日間ニューヨークにいたので、まあ十日間ほどロサンゼルスにいたことになります。
 こんな短期間で、アメリカについての印象を語るのは、象の毛一本微かに触って、象について語るようなものですから、笑止千万です。
 また、予備知識も素養も無い人間が、旅行先について語ると、往々にして「こんなに酷くてびっくり!日本最高!」か「こっちはここが素晴らしい!日本最低!」に傾きがちです。極端な意見の方が、目を惹きますし、書き易いですからね。
 自分の本拠地を肯定したいというバイアスは、基本的な感情(郷土愛とか愛国心とか故郷への想いとか)で、自己肯定の一部と認識すべきだと思います。それでも、ロサンゼルスの街(しかも殆ど所謂、中・高級住宅街のみ)を歩いた感想を、敢えて述べさせてください。

 既に何度も述べた様に、子供に、ロサンゼルスでは公共交通機関に乗らないように忠告されていたので、遠いところにはUberで行きましたが、かなりの距離を歩きました。全ての期間の携帯電話アプリによる歩行距離は合計で126㎞です。平均すると毎日10㎞位歩いていたことになります。これは勿論スーパーマーケットや美術館の中も歩行距離に入っていますので、全てが外歩きというわけではありませんが、この年齢の人間がアメリカの大都市に滞在したとすれば、毎日比較的良く歩いたことになると思います。
 滞在していたホテルは、大通りに面しており、通りの向こう側は沢山の背の高い集合住宅が並んでいました。この大きなブロック(Google Mapでおおよその周囲を計算すると一周3.2km)が全てフェンスで囲まれ、無人の歩行者用や自動車用ゲートが幾つもあるのですが、全て施錠され、監視カメラがついています。このブロックの向こう側に、面白そうな美術館・博物館等々が並んでいます。渡米前の下調べでは、Google Mapで、このアパート群の間を通り抜ければ、楽しく安全に美術館に行けると誤解していたのですが、部外者は当然入れず、大回りをしなければならないのです。
 フェンスの中では、庭師さんたち(大概ヒスパニック系)が植木の手入れをしており、芝刈りもばっちり。居住者の駐車場が確保され、不審者なぞいるわけありません。中央ゲートには監視員がいて、恐らく出入りの業者や郵便配達、宅配業者やフードデリバリーは、身分を証明して入れてもらうのでしょう。
 いやはや、ここでは、安全に暮らすために、住民が恐らく想像を絶する高コストを負担して、自ら檻に入る必要があるのです。
 ホテルのある側の後ろは、今度は個人宅が立ち並ぶ中級住宅地でした。わたしの目から見れば充分高級住宅地でしたが、子供に言わせると本当の高級住宅地はビバリーヒルズとか色々あり、こんなもんじゃないと言うので、敢えて中級住宅地と言っておきます。
 一軒一軒の庭に、セキュリティー会社の地面に刺す形の醜くて大きな看板が、この家は警備会社に見張られていることを、毒々しく主張しています。それぞれの警備会社が異なった派手な看板を披露しており、折角のガーデニングも台無しですが、大事なことはこの家が見張られていることが誰にでもわかるようにすることなので、美観は二の次なのでしょう。ガレージの扉の上には「はい笑って!あなたは撮影されてますよ!」というユーモアよりは皮肉としか受け取れないお知らせが貼ってあります。住宅地内の道路には、この地区全体がビデオカメラで録画されている旨が書いてあります。
 最後に最もショックだったのは、学校です。偶然に幾つかの学校の前を通ったのですが、最初は学校とはわかりませんでした。なんでこの建物は矢鱈と高いフェンスに囲まれているのだろうと位しか思わなかったのですが、ハイスクールと書いてある所でやっと気がつきました。そうです、銃を持って学校内で乱射する事件が多発しているので、学校は要塞みたいに、校門を閉じたらどこからも人が入れないようになっているのです。アメリカでは校門に入る前にセキュリティーに検査してもらうような学校さえあると読んだことがありますが、ここでどうなっているのかは知りません。
 しかし、日本の地方都市で、小学校のすぐそばで住んでいるわたしには、その小学校との違いに愕然とせざるを得ませんでした。日本の小学校も、あの池田小学校の悲劇のあと、授業中は校門が閉まり(自宅そばの小学校は施錠はされていないようです、都市部では違うのかもしれません)、不審者用訓練や「さすまた」の設置が行われていることは、わたしも知っています。それでも自宅そばの小学校のフェンスは、この運動神経ゼロ体力極小のわたしでさえ、多分大した怪我をしないで、乗り越えられそうな高さです。門は押せば開きます。
 ロサンゼルスのある学校から聞こえてきた歌声は明らかに小さい子供達の声でしたが、その建物に侵入することは、わたしには絶対不可能に思えました。

 危険を避けるためには、檻の中に入らなければならない日常が当たり前な人たちの目には、日本の学校の門構えや囲い、住宅地でのセキュリティーはどう映るのだろうかと、思わずにはいられません。
 一方で、安全にはフェンス・カメラ・警備員・自動扉・セキュリティーシステム等々、多大なコストが掛かることが身に染みていない人間にとっては、貧富と自己実現可能性の格差が極端に広がるということが、どういうことかを肌で知るのは難しいでしょう。大富豪や大スターでなく、普通の人でも、安全はお金を払わないと手に入らないということを理解しなくてはならないのは、きっと物凄く苦く嫌なことでしょう。

 未来のことはわかりません。でも今、日本以外のどこかで起きていることを、身を以て体験するのは、随分と考えさせられるきっかけになります。
旅行に行くのを止められないのは、これがあるからですね。

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