自分の弱さを知る(11)

「躾」についてエリクソンは、

ライフサイクルの研究から学ぶことのできる、いくつもの避けるべき項目がある。しかしこういった公式の多くは…(略)迷信的な禁止を引き起こしてしまいがちである…(略)専門家というのは…(略)「選択が許容され、その選択が望ましいものとなる準拠枠を設定すること」しかできない…

アイデンディティ/エリク・H・エリクソン

この記述のあと各家庭で行われる躾は親自身の価値観の反映に過ぎずその生活のなかで親のもつ「自律」の感覚に大きく左右されると論じている。

つまり第一義として躾とは子供の自律を促すためにある。貧富や文化資本の格差を問わずはやく自立しろ、はやく家を出ろと子供にことあるごとに言いつける親は少なくないと思うが、

だけれどもその親自身が真に「自律」した人間としての個を確立できているかというと必ずしもそうではないはずである。自律とは単一に経済的”自立”ばかりを指すのではない。よりラディカルな自己の尊厳にかかわる概念である。

自律した人間の成熟度を測る指標の一つに「一人でも平気か?」があると私は考えるのだが(これは私の持論だけど)

はんたいに、もしかりに一人ではどうにも暇を持て余して他人に依存せざるをえないような人間ならばその者はどこか未熟といってよいだろう。その人間的な弱さにつけこんで操作しようとする悪人も世にはいて、現にどこそこで「人間の悲劇」が起こっている。

不幸にもそのような親を持ってしまった子供の多くは自己・他者への信頼の感覚を獲得できないままに成長してしまう、このことはエリクソンの記述に従っても明らかだ。うまく親を「反面教師」にできる子供に成長(成熟)すればよいのだろうがそれもとくべつの資質、運次第ということになる。

<続く>

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