自分の弱さを知る(6)

エリクソンは、人間は小さな子供の頃から自分が何者であるかを確信していると述べている。もっともこの確信は社会の秩序と外圧に絶えず曝されることを余儀なくされ、やがては崩れさるだろう。

たとえばある環境の中で、小さい男の子に向けられる要求と「大きくなった男の子」に向けられる要求の間には断絶がある。するとその子はなぜ最初のうち小さいことは素晴らしいと信じ込まされ、後になると、あまり努力もせずに与えられていたその地位を「もう大きくなった」者の特別な義務と交換させられるのか、理解できない。そうした断絶はいつの時点においても危機に発展し、行動パターンの決定的で戦略的な再構成が要求される。

アイデンディティ/エリク・H・エリクソン

この危機(confusion)は、人生のライフプランの各ステージにおいて起こる。その都度、人は深く苦しむ。特に難しいのが青年期である。

この点については既にすこし前に私見を述べたが、エリクソンのアイデンディティのモデルは、真実なのだろうが、ちょっと古くさい。今後もずっとあり得ることなのだろうが、今現在、私達が生きている現実ではない。そう言い切っても構わないと思う。

上記「アイデンディティ」に出てくる登場人物たちは、あくまで心理学的知見に説明を与えるためのものであるので仕方がないのだが、どこか類型的である。下記は患者の一人、ジルという少女の例

彼女はおてんばで、兄弟たちにひどく嫉妬しており、彼らと張り合おうとしていた。とはいえ彼女は聡明であり、やがて万事うまく収まることを約束するような雰囲気があった。…(略)そして実際に彼女は困難を片付けてまっすぐに成長し、非常に魅力的になり、どんな集団においてもおおらかなリーダーになり、多くの人にとって若い女性の見本のような存在だった…

アイデンディティ/エリク・H・エリクソン

著書の中でこの患者たちが何人出てくるのかちゃんと数えているわけではないが、新顔が出てくるたびに「うーん」と唸ってしまう。

もちろん嘘じゃないのだろうが、マラマッドの小説にでてくる主人公風の、いわゆるモラリストとよばれる文学(者)のカテゴリーがあるが、その伝統における人物造形である。

だけどたとえば今の起業家、経営者などは昔のそれとはかなり違う。古風な「闇金融ウシジマくん」的な世界線がなくなったとは言い難いが、他方でオタクみたいなのがどっこい社長をやっていることも珍しくないわけで、

つまりこの数十年で職種が増えて「多様化」したということなのだろう。

<続く>


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