思想の最前線はこっちですよ

茂木健一郎先生がよく言及してる一人がレックス・フリードマンである。

2018年にスタートしたLex Fridman Podcast(原題:Artificial Intelligence Podcast) は「AI、科学、技術、歴史、哲学、知性、意識、愛、権力の本質」について論じている。レックス・フリードマンのポッドキャストは、長時間のインタビュー番組として構成されている。インタビューは対面で行われ、通常2時間から4時間の長さである。2022年12月7日現在、フリドマンはYouTubeで240万人以上の登録者を持ち、3億2000万回以上再生されている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Lex_Fridman

あらかじめことわっておく。ワタクシ英語全然わからない。かといって茂木先生の自称生徒としては無視するわけにもいかず、
おなじみDeepLの脅威のパワーをお借りしつつチラチラとは見てたのであった。

なお内容は一貫して容赦ない。愚劣な大衆お断りである。おそらくこの水準の番組を制作するのはポンニチでは不可能である。

なにしろ、毎回のごとく落合陽一や成田祐輔の上位互換みたいなのが出演するのだ。

数が膨大なんで全部は無理だけどアトランダムでちょっとだけアウトプットしていくと、

Demis Hassabis: DeepMind

AIの究極の用途は、科学を最大限に加速させるために使うことだと思います。人類は悟りの境地に達して以来、かなりうまくやってきたと思いますがAIはそのすべてを加速させるものだと思っています。私は知識の”系”を可能な限り探索したいのです。それにはAIが理解やパターンの発見を助けてくれますが新しいツールを設計し実験的なツールを作る可能性もあります。それは全部においてそうです。シミュレーションや学習シミュレーションの実行等々。全部です。

同上

この回、フリードマンと同じ畑のAIの専門家同士でいつになく会話が弾んでいる(普段のFriedmanは終始眠たそうなんだけど、この回は別)

現在、社会的に注目されている「意識の計算主義」みたいなのとは距離感のある二人だと分かって有意義な内容である。

意識と言っても今のところ「主観」を記述する理論はなく主観/客観の境界線を厳密に引くことは不可能。
あくまでもAIは便利なツール以上のものではない、というコンセンサスというか共通認識がこの二人にはあるのかもなと思った。

動画の後半ではAI技術と「権力」の問題を中心に語っている。こちらのほうが専門家同士の”本音の本音”の部分か。

David Eagleman: Neuroplasticity and the Livewired Brain

では、脳のどこで知能が発生すると思いますか?その答えは、どこを指しているのかわからないということです...ロボットを作りたいなら、胃袋から始めなさい。私が言いたいのは、ロボットは空腹を我慢しなければならないし、生き残ることを考えなければならない、ということです...この場合、食料を得ること、群れに戻ること、などです...アーネスト・ベッカーは哲学者で、基本的に死に対する恐怖が核心であると言っています。でも、それが自分の人生の中でどう表現されるかは、結局は全然違うんです。その理由は、生存の部分とは全く関係なく、仲間を感心させたり、驚かせたり、何かを言わせようとすることに関係しています...今、ロボットを部屋に入れたら、凍りつきそうです。なぜなら、ロボットはそこに行く理由がないからで、逆に、そこには何もないのです。私は何かをしたいので、次の行動はこうするべきだという特別な考え方はありません

同上

上記ハサヴィスさんの言及つながりで紹介してみた。

脳科学の研究者にしてベストセラー作家でもある才人、デヴィッド・イーグルマン氏である。「クオリア」の研究者ってことで主観を中心とした知覚の還元主義みたいな立場。

ここいらが神経科学の前線か。

私はネオセンサという会社を経営していますが、私たちが作っているのはこの小さなリストバンドで、いろいろな種類のものを作ってきました。私の声をキャッチしてアルゴリズムを走らせ、それを振動のパターンに変えているのです。その結果、人は初日から「あれ、変だな」「あれは犬の鳴き声か」「赤ちゃんの泣き声か」「ドアをノックした音か」と、予想以上によくわかるのですが、時間とともにどんどんよくなり、それが新しいクオリア、つまり新しい主観的内部体験になるわけで、初日は「あれは何だったかな、ああ犬の吠え声だったかな」でも3ヶ月後には「あれ、どこかで犬の吠え声だ、あれは…

同上

「主観」ってだれもが知ってるようでじつはよく知らない、あいまいな概念ではある。

氏は特殊なセンサー(リストバンド)を開発してそれを人に装着してもらって、どのように人間の主観的内部体験がつくられていくのか?を調べている。後半はこの主観とクオリアの「拡張」という話が出てくる。

人間の知覚、たとえば視覚も今後は新技術によって「拡張」できる新たな可能性が出てくる。ここらへんVRやメタバースなどの新しい潮流にも目くばせしているの「な」

Jay McClelland: Neural Networks and the Emergence of Cognition

現実の世界に関連するものでなくても、物体が理想的な特性をもって存在し、それらの間の関係が正確に特徴づけられ、ある事実の意味合いが他の事実を確実に導くことができるような世界もあるわけで、例えば2つの三角形があって...(以後しばらく三角形の合同条件の話が長々と続く)つまり、それらの特性はすべて共通しているのです。地球から発射された小さな物質が、冥王星のはるか彼方にある小さな小さな天体と、予測された日時に正確に交わることができるのは、まさにこの考え方に基づくもので、実際の物理世界では、これらの天体が接触することで、実際に起こっていることなのです。しかし、理想化された物体、三角形、距離、点など、それが何であれ、この一連の道具を作り出し、人間に、この概念なしには持ち得なかった信じられないほどの力を与えているのです。

同上

この回も難解だった。

難解すぎて「見る哲学書」の様相を呈しておった。ヒトの根本を規定している”思考の方法論”みたいな話。例の如く、長い。

多くの認知科学者が、長い間、彼に同意していたことが分かった。自然数というのは文化的に作られたものであるということは、ほとんどすべての人に受け入れられているのです。だから、これは単なる例で、言語そのものに対するある種の思考様式や、幾何学やその種の関係に対するある種の思考様式が、第二の自然になってしまい、教える必要があるのが何なのかわからなくなってしまうということなんだ。しかし、ほとんどの学生は、深く関わらないので、理解することができません

同上

私は、死というもの、そしてそれを認識し、予期し、恐れを抱く我々の能力が、我々の世界の推論においてどのような役割を担っているのか疑問に思います。

同上

ほう……(白目)

この世界はカオスでありそのような例外的「思考」の領域に踏み込むことを殆どの学生は拒否する。
そして結局は予定調和(上記でいうところの”死”)に流されていく…と。もっと人間は精神の柔軟性が必要だ。

いや、しかし、いつもこんな感じのノリで毎回数十万~数百万回も再生されてるっていうのは。民度のレベルが違いすぎる。今日においては英語できないやつは知恵遅れ、みたいな世界線というか風潮は確実にある。

ついに英語勉強するときが来たか(1億回目)

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