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変わるもの 変わらないもの

私がオードリーのオールナイトニッポン in 東京ドームに参加するまでの話、参加してからのこと。

正直もうラジオをリアタイで聴くことは少なかったけれど、たまたまリアルタイムで聴いていたあの日、それは突然の発表だった。オードリーのオールナイトニッポン15周年のイベントを東京ドームでやると。
信じられないと思いつつ、あまりにも腑に落ちるような感覚、言葉にできない高揚を感じつつ自分は絶対にその場に行くんだと、かなり強く誓った。それは5年前の2019年に武道館で観たもの、感じたことがあまりにも大きかったからかもしれない。

しかし現実はそんなに甘くはなく、1次〜最終先行まで全て落選という形となった。何とか最後の一般先着でチケットを手に入れ、ギリギリの状態で参加することが決まった。アイドルを応援して培ったチケ発の技術がここに活かされたことに感謝した。
しかし学生から社会人となり、自分の中でもたくさんの変化があったためラジオを聴かないことも増えていて、尚且つここまで落選が続く状況にやはり心はポッキリ折れていた。正直なところ最初から配信やLVがあるだろうと思っていたので、もういいやって思うことも何度もあった。実際注釈スタンドが取れた訳だが40.41ゲートだったらリセールに出して家でゆっくり観ようかなと思ったりした日もあった。

毎週ラジオを欠かさず聴いてお2人の活動を全部追って、それでも尚チケットが当たらなくて、という人がたくさんいることを分かっていながらこんなことを思うのはどうかしているのも分かっていた。若林さんを始め、たくさんの方々が少しでも楽しんでもらえるよう尽力していたことも分かっていたのに。自分の醜さと弱さを痛感した。

ただ私がオードリーのオールナイトニッポンを過去の自分より追わなくなったのは、自分にとってラジオが必要なくなった訳ではなく、もちろん嫌になったとかでもない。
寝る前必ず聴きながらでないと眠れない日々もたくさんあった。それでもそんな依存状態から脱したのは、annkwは縋るものではなく普遍的なものへと私自身の中で変わっていったからだ。
絶対に聴かないとダメだったものが、今日が土曜日だと気付いた時、そうだオールナイトニッポンがあるって思えるような存在に変わっていった。
もちろんそれはお2人が番組を続けてくれていて、続ける努力をしてくれる人たちがたくさんいるからで、それが大前提なんだけれど。それでもラジオがそこに、その時間に、必ず存在すること、それだけで私には充分な救いになっていた。

◎ 東京ドーム当日

ウダウダと書いてしまったが、自分の手で掴み取ったチケットで東京ドームに参加することを決めた。前述の通り私はアイドルを応援しているので、東京ドームには何度も来たことがあったため、何となくステージの予想をしたり座席の配置など分かっていたつもりだった。しかし会場に入りセットを見た時に、初めて東京ドームに来た日と同じようにドキドキとワクワクが止まらなかった。

正直なところドームは座席幅が狭くつらい。そして40.41ゲート等の上の座席は特に熱がこもる部分であり環境はかなり劣悪だと感じる。1階やアリーナとは比べ物にならない。そして隣には脚を開いて座る男性、マスクを貫通する汗のニオイ、この時点でかなり気分はダウナーになってしまった(ごめんなさい)

でも公演が終わる頃にはそんなこと忘れちゃっていた。それくらい熱中していた。(隣の男性も多分熱中する余り前のめり気味になって最終的に脚を閉じて座るようになっていた。)また物理的な距離は武道館の時より遠くなっていたけれど、心というかマインド的な部分では東京ドームの方が近く感じた、不思議なことに。ライブに行くたびに 一体感、一体感 という言葉を聞くが、一体感 という本物の意味を分かった気がした。

公演は本当に毎秒毎秒楽しく心残るものばかりだった。ラジオもプロレスもDJもコラボも漫才も合間のゲストの皆さんもカーテンコールも。全部すごかった。その一つ一つについて感想を書きたいけど、長くなり過ぎてしまうので割愛しなければならない。端的に感想を言うとするのなら、圧倒的にすごかったことと感謝とトゥースだったこと。これしかない。言えない。
凄すぎて、感動とか、そんな一言で丸く収まるような感想言えないと思ってしまった。けど本当に感動、感激、感銘、心が揺れる瞬間が何度もあった。

私は星野源さんのオールナイトニッポンをほとんど聴いたことがない、でも「星野源のラジペディア」は毎週聴いていた。radikoがなかった時代なので毎週リアルタイムで周波数を合わせて聴いていた。故にもちろん聴けない日もあった。「星野源のラジペディア」が初めて深夜ラジオの楽しさを教えてくれた。それがFMからAMに変わって、改めてラジオの楽しさを教えてくれたのが『オードリーのオールナイトニッポン』だった。だからもちろんLIGHTHOUSEも観た、観て、泣いた。江古田や中央線にたくさんの思い出もある。でもそれは2人には全く関係のないことだ。2人の関係性や感情を勝手に解釈などできない、するべきではない。自分の感情や過去を押し付けるのはあまりにも失礼で、だけど、私にあらゆるものが刺さって抜けなくなってしまって、今も上手く咀嚼できないでいる。それが一体何か、それすら書けないけれど。

たくさんの人たちがスマホのライトで2人を照らしていた。綺麗だった。でも私にはできなかった。スマホを手に取りライトをつける時間すら無駄に感じた。スマホを持つ腕に気を取られるのも億劫だったから。2人を照らす光になりたかった、今思い出しても思う。

オードリーのオールナイトニッポンに救われている人がこんなにたくさんいるという現実、例えファッションだとしてもラジオを好きな人が増えて大衆的人気になっている現実、「だが、情熱はある」を見て気になっただけの人が東京ドームに来たという現実、チケット争奪戦の時から嫌というほど突き付けられていた様々なリアル、この紛れもない真実が混じり合い目の前に存在していた東京ドーム公演だった。チケットが当たらず拗ねていた感情もどこかへいった。本当にすごいことだと思ったから。

そしてその東京ドームを通して私は、私が好き という理由があればそれでいいのだ、ということにようやく気が付いた。他の人がどんな理由で好きになったのか、どんな歴史があり、どんな風に思っていようが関係ない。私がオードリーとオードリーのオールナイトニッポンが好きであるという事実だけがそこにあればいいんだと思えた。

2人の姿を目に焼き付けた。東京ドームで流れるSHOWがはじまるよを耳に焼き付きた。

変わりつつも変わらずに同じものを続けていく強さ、凄さ、ありがたさ、そして忙しいということを言い訳にせず、新しいことへ挑戦していく強さ、凄さ、欲、目的達成への探求、努力、メンタル、その全てがかっこよく、こんな大人になりたいと心の底から思った。また怠惰な自分を呪った。

私はまた土曜日の夜に戻っていくだろう、きっとそれは毎週じゃないかもしれないけど、そこに在り続けてくれる限り私は何度でも戻っていく。あまりにも勝手だけれど。

そしてどうか関わっている全ての皆さんに健康でいてほしい。これは本当に強く、一番願っている。どうか、よろしくお願いします。

生涯忘れられない日を私の人生に作ってくれたこと、本当に感謝しても足りないくらい感謝しています。心からありがとうございました。と思った夜だった。


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