だいじょうぶだいじょうぶ

お念仏と読書#1「大丈夫」

コロナウィルスの問題で、今現在(2020年3月現在)お寺の法要、法話会など残念ながら自粛している状況です。法話会が休座になると、法話をする機会が失われます。
しかし、一軒ずつしているお彼岸のお参りや日々のご法事などでは、法話をしたり、法話の文章を配ったりしている。今だからこそともに聞いていきたい仏様の「安心」があります。
第一回の投稿として、この春彼岸にお参りする時に配る法話を載せます。


『大丈夫』


いとうひろしさん作・絵の『だいじょうぶ だいじょうぶ』という絵本があります。

ぼくがいまよりずっとあかちゃんにちかく、おじいちゃんがいまよりずっとげんきだったころ、ぼくとおじいちゃんは、まいにちのように、おさんぽをたのしんでいました

この絵本は、主人公の男の子と、おじいちゃんの物語です。

おじいちゃんは、いつも男の子の側にいて、その手をことあるごとにしっかりと握ってくれます。そんなおじいちゃんと話していると、男の子の世界はどんどん広がっていくのです。
しかし、成長するにつれ、困ったことや、怖いことにも出あっていきます。
お友達との関係がこじれたり、事故があるということを知ったり、恐ろしいバイキンがいることに気づいたりして、不安で不安で堪らなくなることがありました。

そんな時、おじいちゃんは、いつも男の子の手を握って「だいじょうぶ だいじょうぶ」と語り掛けてくれます。
「だいじょうぶ だいじょうぶ」この言葉に励まされ支えられて、男の子は大切なことに気づいていくのです。「ああ、そうか。無理して皆と仲良くする必要はないんだ」「たいていの病気や怪我は、いつか治るものなんだ」など。

しかし、本当に男の子の支えになったのは、どんなことがあったって「だいじょうぶ だいじょうぶ。私が一緒だから」という、おじいちゃんのよびかけそのものなのでしょう。

このおじいちゃんの「だいじょうぶ だいじょうぶ」という言葉、私は阿弥陀という仏さまの私たちへのよびかけのように思えました。

私たちはいつも何か悩みや不安を抱えて生きています。大人になってからも不安や悩みがない時期はなかったんじゃないでしょうか。仕事、金銭的なこと、人間関係、健康面。今も何かありますよね。

なぜならこの悩みや不安は、あればあったで、まだ足りない、あればあったで、いつ失われるか分からないという私の抱える「執着する心」こそが原因だからと、仏教では説かれます。

浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来という仏さまです。この仏さまは、私たちの「お金が欲しい」「健康になりたい」というような私の願いを満たして救ってくれる仏さまではありません。その願いがかなってもまた次の願いが生まれてしまい、根本的な解決にならない、大丈夫でない身であることを、阿弥陀さまはすでに見抜かれておられるからです。

だから、阿弥陀さまは、生きている限り執着心をなくすことができない私のために、ご自身が南無阿弥陀仏という、私のいのちを根底から支えることのできる大丈夫の仏さまになってくださいました。

「あなたを救う仏に私がなったよ。だから安心して私に任せておくれ。」おじいちゃんが男の子に寄り添うように、阿弥陀様は私たちにいつもよびかけ、支え、はたらいてくださっています。合掌


このnoteでのブログを長く続けていきたいと思ってます。日々考えている法話や、読書を通して仏様のお心を味わったりしたことを、書き綴っていきたいです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。南無阿弥陀仏

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