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#91 そんなに人間が好きになったのか

「シンウルトラマン」を鑑賞して感じたことを
振り返ってみます。
庵野・樋口コンビの脚本、編集からフォント仕様や
当たり前の風景がアングルによって
ノスタルジーにかられます。
公園、集合住宅、工場地帯、夕日、効果音などです。

映画のキーワード

シンエヴァンゲリオンでも同じように、
人の弱さ、成長などがキーワードであり
葛藤や劣等感の克服などが表現されている。
人は直接的な支援や援助ならわかるが
誰かの間接的な助けがあって生きていることには気づきにくい。
そんな当たり前のことを
この映画で教えてもらったように思います。

寄り添う

オンラインによって、移動なくとも
打合せや会議ができるようになったことは
とても良いことです。
しかし、自分のインタラクションと偶発性のよる発見が
失われてしまったように感じます。
つまり、視覚、聴覚などのinter(相互)action(作用)を通じて
言葉で表現されていないものでも肌感覚で気づくことです。
分断の時代だからこそ、寄り添うことの大切さを
思い出させてくれました。

シン

シンとは、新(シン)という意味と心(シン)という意味が
込められているのかなと勝手に思っています。
人によって真(シン)なのかご想像にお任せしますという
ことなのかもしれません。

感情表現が乏しい

初対面のコミュニケーションで、起こります。
相手を知らないからこそ、肚を見せずに探り合いをします。
粗を探してマウントを取ろうとします。
足元を見て見ぬふりもします。
地球外生物の辿々しいコミュニケーションのシーンは
それらを表現しているようにも感じました。

人は弱き存在だが・・・

弱いからこそ集団による同調圧力になったり
匿名だからこそ普段使わない暴言を吐いたりします。
怪獣のように豹変したりもします。
本音より感情に心を奪われてしまう弱き存在です。
しかし、弱きを認め、恥をさらし裸になれる人ほど
強いのは確かです。

誰かのために

君が望むなら それは強く応えてくれるのだ
今は全てに恐れるな 痛みを知る ただ一人であれ
M八七:米津玄師

自己犠牲による自己満足でもなく、
「誰かのためになること」は何か?
映画の主題歌にもあるように、痛みを知っている人ほど
優しい。しかし2種類いる。
痛みを強要する人と寄り添ってくれる人である。
誰かのために応えられるように、
相互に効果的で、利他的であるように。

自律的成長

その人の成長を願いつつも、それは無意識に
自身のニーズを満たすことだったりします。
もしも願いだったら、不平不満は起こらないはずです。
成長できる人ほど自主的ではなく自律的であったりします。
結局は、人としての道理だったり、正義だったりするのでしょう。
まさに正義とは何か?という
大きなテーマを投げかけられたような
映画でした。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。
godaigenso


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