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「清く正しく美しく」の行く先は

こんにちは
たけなが社労士事務所です。


ここ最近体調を崩しnoteの更新もできないままでした。(ただどうしても書いておきたいと思い、記載いたしました)

その間宝塚歌劇団では、団員の方が被災されお亡くなりになりその点で就業環境、安全配慮義務等を巡り大きな問題となっています。
被災された方に対しご冥福をお祈りします。またどんな職場、働き方であれ、人が傷つく、ましてやお亡くなりになることはあってはならないと強く考えます。

被災された方は個人事業主とのことですが、劇団側の資料や報道を見る限り労働者に近い働き方、しかも厳しい就労環境と言わざるを得ないように受け止めました。

すでに労働基準監督署も入っていますので、いずれ何が起きているのか、労務管理、安全衛生管理等の実態はわかることと思います。
法や安全衛生の話はわかってから改めたいとおもいますが、
今回はあるエピソードをご紹介させてください。

「生徒の名前もわからんようでは課長は務まらんよ」

昭和初期の頃のこと、当時課長として宝塚歌劇の担当となった大田垣士郎氏(のちに関西電力初代社長)が阪急電車に乗っていたところ、そこにはなんと小林一三氏。
大田垣課長を見つけ、同じく偶然乗り合わせた10名ほどの生徒を見ながらこう質問。
「あそこにいる右から5人目の子は何という子だ」
有名スターならいざ知らず、そんな新人の名前はわからないと課長は降参。
「わかりません」
と回答すると、小林一三氏は
「宝塚に来て、歌劇の生徒もわからんようでは課長は務まらんよ」
と手痛く叱ったそうです。
(その後大田垣さんは一人ひとりの名前を覚え、最終的には歌劇に一家言いえるほどに仕事に取り組んだとのことです。)
(北康利「胆斗の人」p69-70)

無論昔と今では人数も規模も違うため、一人ひとりの生徒の名前を覚えろという話ではありません。
課長や管理に立つ人ならば、一人ひとりの生徒を大切にせよ、それが昭和初期ならば生徒の名前を覚えるというという表現になったものと私は受け止めています。

今はどうか-清く正しく美しく-の行き先は

さて翻って今はどうでしょうか?
会見や報道で見られる経営者(理事)は皆さんからどうみえるでしょうか。。。
そして天で見ている小林一三氏はどう思うでしょうか。

劇団の特殊性が取り上げられるところもありますが、例外なくどんな職種であれ、一人ひとりの働く人を大切にできる組織でなければいけないと考えます。
「清く正しく美しく」という立派な看板を持つ劇団です。この看板に恥じない行動は何か。やるべき仕事は何かの羅針盤は既に持っているはずです。

これ以上悲劇が繰り返されないよう、また劇団に関わる皆さんが安全に誇りを持って取り組める組織になるよう切に願います。

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