魔法使い

 三十歳まで童貞だと魔法使いになれる。こんな話を聞いたことはあるだろうか。
 この噂の出処は海外であるとかネットだとか色んな話があるが、要は三十歳になっても童貞であり続けるような人間は、魔法使いと同様に特異であるという皮肉だと、俺は勝手に解釈をしていた。

 「堂野さん、私と付き合ってください!」
 魔法使いになるまでのタイムリミットが一週間後に迫ったある日、俺は人生初めての被告白を受けた。
 相手は同じ職場の植山さん。俺の三つ年下で、愛嬌がありいつもニコニコしている小柄な女の子だ。誰とでも分け隔てなく接する彼女が、まさか自分のことを好いていたとは夢にも思っていなかったため、たまたま一緒になった帰り道で突然告白をされた時には、状況を理解するために幾ばくかの時間を要した。
 もちろん、告白をされたのは嬉しかった。見た目も中身も俺には勿体ない彼女が、自ら告白をしてくる。こんなことは今後の人生で恐らく二度とないだろう。そして何より、彼女いない歴イコール年齢であった俺にとって、これは童貞喪失の大チャンスである。ここで首を縦に振るだけで、今まで俺の人生にまとわりついてきた亡霊を振り払うことが出来る。
 「・・・少し考えさせてくれないか。」
 しかしながら、俺は言葉を濁し、彼女へ一週間の猶予を求めた。その理由こそが、三十歳まで童貞であると魔法使いになれるという俗説である。

 時計の針を少し巻き戻す。
 馬鹿でも賢い訳でもない高校、大学を卒業し、生活に困らない程度の稼ぎのある会社へとこれまで人生の歩みを進めていく中、俺は遂に童貞卒業はおろか、彼女の一人すら作ることが叶わなかった。
 恋愛や異性に興味がない訳ではない。寧ろ、どうすれば彼女が出来るのかをだけを考え続け、今まで出来ないものがこれから出来るようになる訳がないと己を谷底へと蹴り落とす日々を送り、気づけば二十九年と半年が過ぎていた。
 人生に絶望をしつつも、流石に童貞が笑えない年齢に差し掛かったこと、そして色恋沙汰以外はほとほと平和に暮らしているという負い目から自らの葛藤を他者に打ち明けることも出来ず悶々としていたある日だった。
 目覚ましであるバイブレーションを止め、起き上がりタバコを吸おうとセブンスターを手に取った。そしてそのまま近くにあるはずのライターを探すが、どうも見当たらない。
 どこかに置いてきたか?
 別に百円ライターなので無くしたことは構わないが、今タバコを吸えないのは困る。だが自炊をしない俺の部屋のコンロは既に色んなものの下敷きとなってきて機能していないし、他に思い当たる火器もない。
 そんな時ふと、自分の手から火を出すことが出来るような気がした。いや違う。気がしたのではなく、出来ることに気が付いたのだ。自分に特異な能力があるなどということは、中学二年生の時ですら想像しなかった自分が、今日は自らの手で火を生み出すことが出来ると確信している。勝手な自問自答で困惑をしつつも、俺は半開きにした右手を口にくわえたタバコに近づけ、フィーリングで火を起こそうとした。
 すると、確かに小さな火が手のひらの中で生まれ、タバコを燃やしたのだ!しかし同時に、全身に強い倦怠感を覚え、俺はその場に座り込んでしまった。
 じりじりと灰にわかっていくタバコを見つめながら、俺は漠然とこう思った。
 「そういえば、三十歳まで童貞だと魔法使いになれるらしいな。」
 三十歳まで後半年。三十歳になった瞬間に能力が授けられるのではなく、三十歳を完璧な魔法使いとして迎えるために、既に体が準備を始めたのだ。
 飛躍し過ぎだと思われるだろう。実際、能力と俺が童貞であることとの繋がりを示す明確な根拠は何もない。だが、本人にしかわからない感覚というものがある。根拠なく手から火を出せると思ったら出せたように、童貞だから能力が使えるということが、本能的に理解してしまったのだ。
 それからというもの、俺の能力は日に日に進化を遂げっていった。始めはライターに劣る小さな火を出しただけで体は悲鳴を上げていたが、三十歳が一週間後に迫った今では、自分の体よりも大きな炎を片手間で出せるレベルになっている。
 しかも、俺の能力は炎系だけではない。水、氷、雷、風、回復というRPGに登場しそうな魔法は大抵網羅し、さらには朝の星座占いの結果を見る前から完璧に予測が出来る。(これは占いの能力なのか、それとも未来予知の能力なのかは定かではないが・・・)ついでに瞬間移動や念力など、もはやそれは魔法ではなく超能力なのではないかと呼びたくなるような力も、炎や水に比べると荒さが残るものの使えるようになってきていた。

 ここで、現状を整理する。
 三十歳まで残り一週間となりながら童貞である俺は、このタイミングで後輩の植山さんという女の子に告白をされた。しかし、半年程前から発現してきたこの魔法のような不思議な力は、童貞であることと深く繋がっており、恐らく彼女が出来れば弱くなり、行為に至るようなことがあれば消滅することだろう。
 さて、どちらかを取るか、である。
 今の俺の魔法の熟練度は相当なものである。能力によって多少のバラつきはあるものの、先に述べた炎や水といった能力はほぼ完璧にマスターしていると言っていい。一週間後に他の能力も完璧に備わることを踏まえれば、簡単に手放すには余りにも惜しいと言わざるを得ない。
 魔法を操るびっくり人間としてか、はたまた力を使って周りの人間達を支配していくか。倫理的な観点はひとまず置いておくにしても、魔法を生かせば簡単に大金を手に入れることが出来るだろう。金だけじゃないメリットだって、考えればきりがない程浮かび上がることだろう。
 一方で、愛というものは金だとかメリットだとかで割り切れるものではない。童貞であることが能力を持つ条件である以上、植山さんの返事に良い返事をすれば、ほぼ間違いなく能力は失われる。(この歳になって出来た彼女とそういうことをしないで別れる可能性には、ここでは触れないでおく。)これまで通り平凡な会社員として働き、平凡で幸せな家庭を築くことが目標となるだろう。
 この二択、綺麗な筋書きのドラマや映画であれば、ほぼ間違いなく後者が選ばれることであろう。だがしかし、ここでこの選択を迫れている人物は、他でもない童貞なのだ。
 童貞は、他者から注がる愛を知らない。故に、その愛がどれほど価値があるのかがわからない。
 確かに愛し合う二人が結ばれ、その間に子供が出来て、その子供に愛情を注ぐ。それは素晴らしいストーリーかも知れない。だが、その脚本の一ページ目にすら目を通していない童貞にとって、そのストーリーが素晴らしいのかどうか判断することは出来ない。
 知らぬが仏ということわざがある。わざわざ意味を説明する必要はないだろう。お金や力で買えない幸せがあっても、その存在を知らない、もしくは味わうことさえなければ、お金や力で得られる幸せに十分満足できるのではないか。どうも俺はそんな考えが頭をよぎってしまう。
 一生童貞であり続けることへの恐怖感と、能力を保持したい欲の板挟みとなった俺は、悩み続けながら誕生日三日前の夜を迎えた。
 明日、植山さんの告白に返事をする。この結果いかんにより、俺の人生が決まる。そんな緊張からか、ろくに眠れていないここ数日に輪をかけて意識が冴えてしまう。
 何とか目を閉じて眠ろうとしていると、夢と呼ぶには余りにも俯瞰的な情景が瞼の裏に広がる。どちらかと言えば映画館で映画を見るような、完全な第三者目線である。
 瞬時に、これが未来予知の能力の一種であることに気が付いた俺は、映し出されることの顛末を、固唾を飲んで見守る。
 あ、植山さんが笑ってる・・・そうか、俺はまだ知らない愛を選ぶのか・・・お、これ結婚式だ・・・子供も出来て・・・へえ・・・
 次々と現れる俺の未来に、始めは胸を躍らせていたのだが、次第に心へ暗雲が立ち込めていく。
 別段、辛い未来が待っていた訳ではない。寧ろ、悲劇的な展開のない素晴らしき平凡が続く未来であった。だが、未来が幸せかどうかに関係なく、自らに何が待ち受けていて、どのような最期を迎えるかまでを知ってしまったことに、底知れぬ恐怖を覚えてしまっていた。
 これから起こる出来事は、全て今見た未来の後追いに過ぎない。そこには新鮮さの欠片もなく、ただ終わりに向かって行く一歩である。
 自分の能力に対して自信を持っているからこそ、どうあがいても今見た未来を変える手段がないことを悟ってしまう。
 未来への道が、煌々と照らされることは、こんなにも恐ろしいことだったのか。
 
 翌日、騒がしい程のサイレンが辺りで鳴り響いたが、その音で俺が目を覚ますことはなかった。
 これが俺の現実だったのなら、一体あの情景は何を映したものだったのだろうか。
 


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