「ダイサンジ」でした。
今日は朝からよいことが起き続けましたが、午後になってから「ダイサンジ」をもらうことになったのです。
「ダイサンジ」を漢字で表示すると今回の場合は「大惨事」ではなく「大賛辞」となるのです。
ボクのことをある記事を読んでくれた人が「今までにこんなに気持ちが良くなったことはなかった」と第一報の感動するコメントをくれてから、ボクがその人の記事にコメントを書くとすごくよろこんでくれることが多かったのですが、今日の午後には「これ以上ない」ほどの賛辞をコメントでくれたのです。
ボクの基本的な思考には「年功序列」という意識はないようで、年下の人にも尊敬を抱くこともよくあるのですけど、その人は経歴を読ませていただいたけど、環境により逆に高見を目指すようになるなど、自分に厳しく生きてこられた人であるから、そんな人から賛辞をいただけたことで最高の気分になれたのです。
「等価交換の法則」は、まだボクにしあわけをくれるのか?
「苦しい過去を生きてきた分溜めたものが現在放出されているのかもしれない!」
「…そうとしか考えられないような幸運」が、最近になり立て続けに押し寄せて来るみたいに感じるのです。
感情を殺したりして仮面を被り、耐え続けて生きてきたことが無駄にならなかったのです。
これで、この先にいかに苦しいことが待ち受けていたとしても、今回起きたことを思い出せたならきっと乗りこえられるはずだと、思うことが出来ます。
それほどうれしかったのです。
「ありがとう!」
「noteでよかったこと」のハッシュタグを子の記事に貼りつけようと思います。
終わります。
ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。