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パラ選手だけが特別ではない。

パラリンピックを観ることにより、障害者の中にも健常者である自身よりも優れた能力を持つ人がいることを知った方がおられます。

ボクが長い間メッセージを送り続けたラジオ番組のコーナーに出演しているアーティストから「障害者だから」という言葉をぶつけられ、そのコーナーへの投稿を止めて、その番組を聴くのも止めました。

それに、その番組を放送しているラジオ局のディレクターをしている奴の「障害者を一括りにしようとする行為」に対し怒りを覚えたから、その番組にはボクがお世話になった人がパーソナリティーをやる日だけしかメッセージを送らなくなったのです。

ここでnoterである「市川ケイスケ」さんの記事を貼りつけておくから、是非とも読んでいただきたい。

彼の記事の中にも書かれているのだが『障害者=弱者』であり『何をするにも誰かが助けねば、何もできない』と考える人もいるということなのだが、ボクが果たしてそういう存在なのかを、冒頭の話のアーティストが判断できるのかというと、それはそいつが自分の判断でそう思っただけに過ぎないと思うのだ。

実際に健常者でも、中々上手くできない模写ができるし、若い頃には書道準3段と珠算2級の資格を取ることができたが、そいつにはそのことを告げてはいないから、そいつもボクを一般的な障害者として、扱おうと考えたのだろう。

そしてそれをあらわす言葉が「障害者だから」なのだろう。

スポーツも人に負けないくらいにできるものもあったことを知るハズもないそいつには、単にメッセージを書く能力が優れただけの障害者にしか映らなかったのだろうと考えられる。

いや、逆にいえば、そうとしか考えられないのである。


そして前述のディレクターにも後天性の障害を持つことになったリスナーのメッセージと同じタイミングでボクのメッセージを読ませるのは止めてくれと頼んだが、毎回同じタイミングで読ませていたから、その番組に投稿することを一切止めたのである。

『パラリンピック出場選手と比べても、遜色はない』

そんな風に自己評価しているボクにとって、上記の2人のとった行為は怒りを感じる以外にはないのである。

総合的に考えた場合、パラリンピックの選手のように、1つのものに特化しているのではなく、いくつかのものが人並み以上であり、それを総合的に考えた時に『ボク=弱者』とはいえないと考えているのだが、noteでボクと交流のある方々はどう思うのだろう?


読んでくれた方にはコメント欄に意見を残していただくことを希望します。

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ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。