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疑うこと・謝ること。

人として生まれたからには成長したいと考えるのが、当たり前だと思う。

成長するのに必要なのは、法則などを学ぶこと・ことわりなどを記憶すること・学んだり記憶したりしたことを生活に生かし、人としてすべきことをやり抜くことだと考えます。

そのためにも学校があるのだけれど、そこで出会う人から受ける悪影響により、ずるい考え方を覚え人と切磋琢磨せず、怠けるようになったり仲間を裏切るようになる人もいると思うのです。

学校などで出会う同じ年の人たちの中には家族などからすでに悪い影響を受けてしまった人もいるので、人の言葉を疑うことなく信じることは危険なことでもあるのです。

過度に疑うことは人を信じる気持ちを失う危険性もありますが、何事に置いても疑わずに信じることだけは、やめた方が良いと思うのです。

疑うだけではなく「何故そうなのか?」と考えることが、その人を良い方に変えることに繋がる場合もあると思います。

何かを発見した人も「疑うこと」をしたから発見に繋がることになったのでしょう。

「疑うこと」と同じくらい必要だと思うのが「謝ること」だと考えます。

幼い頃にできた「謝ること」が大人になるとできなくなる人が多いようです。

それは相手に対する想いが関係してくると思われますが、素直に謝れるのに意地を張って謝らない人も少なからずいます。

「謝ること」は時として、とても勇気がいることにもなります。

が、そうすることで人間として一回り成長することができる場合もありますから、できるだけ「謝ること」をした方が良いと思うのです。

ボクが日頃から心がけている「疑うこと」と「謝ること」について書いてきましたが、人を成長させるのに必要なことは、他にもあるハズです。

そこは各々調べてください。


自分勝手な「おまえ」でした。

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ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。