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「商魂甘い」が故に…。

これは浜松で商売をしている人間の中にはこのような甘い考えでもやっていけると思っている商売人がいるということを、みんなに知ってもらいたくて書こうと思ったのである。

それはまだ、ボクが生まれ育った街にいた頃の話であるが…。

米屋の二代目とは、軽くあいさつを交わす程度の間柄であったが、その米屋がおむすびを安く(現在ではどこもその値段で売っているが)売り出したので、値段につられて買ってみると中々の味であったから常連といえるほどに買いに行った。

が、ある時に米屋の新妻が作ったおむすびを買い、食べようとしたら、おむすびがボロボロと床に落ちはじめたのである。

そして顔を上げ、米屋の新妻を見ると、こちらを睨んでいたのである。

二代目も二代目である。

いくら最愛の女房が作ったとはいえ、商品としての価値がないものまで、売ろうとするのは商売をなめているとしか考えられない。


それ以外にも、たまに行っていた本屋でも「これでも商売人かよ」と思われる態度をとられたことがある。

たしかに閉店直前の店で、粘って立ち読みする客はウザイ存在かもしれないけれど「明日また読めばいいじゃない」という言葉を吐くのは、やはり商売を甘く考えているからだろう。

記憶には残っていないけど「こいつもかよ」と感じたことだけは幾度も経験してきたことなのである。

静岡県の人は優しい

そういうことを言う人がいるらしいが、そういうことだから甘い考えの人でも、商売をやっていけたのだろうか?

一人の客を大事にしない店が繁盛するわけがない。

ここは京都ではないのだから、一見さんお断りなどは通用しないのである。

現在のように感染症が蔓延する世の中で、そんな甘い考えでは通用しない。

中小企業がどんどん潰れていくのに、そんな考えの人が経営する店が存続できるわけがなかろう!

とはいえ、冒頭に出てきた米屋は存続している。

それは先代が開拓した客が、ずっと買いに来てるからなのである。

もしかしたら赤字続きなのかもしれないが、それなりの資産はあるからだろう。

浜松市の人間は仕事に向ける姿勢も甘いしから、手に入れたお金は、そういう店で使うのが合うのだるう。


などと締め括ったところで、終わりにします。

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ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。