見出し画像

お茶関連の記事!

今日のボクの記事には即席めんの味について書きまして、最終的に味噌味に落ちついたとも書きましたが、それは昔からご飯と対になって食卓に登場するのが味噌汁だから、日本人は味噌を食べ慣れているがゆえだと書きました。

ボクが暮らす静岡県では日本茶が全国で上位につけるほど生産されていますから、日本茶を飲む習慣がついている人たちが多かったのですが、昨今の若者の日本茶離れもあり、静岡県でも烏龍茶や玄米茶などにも目を向ける人もあらわれ始めましたよ。

かたや母が教えていた茶道に使われる抹茶は、抹茶オレやお菓子などの抹茶味として市民権を得たようです。

母が習い、教えもした茶道の「宗偏流」で使われていた抹茶の種類は「千代昔」と「萩の白」というもので、茶道の流派により使われる抹茶の種類は違うと、母や茶道具屋さんから教えてもらいましたが、その他の種類については何という名前のものがあるのかまでは、教えてもらわなかったので、知ることはなかったのですが…。

抹茶は煎茶に比べてお値段が高いから、母は茶道を教える時にしか飲ませてくれませんでしたが、ボクは幼い頃からお弟子さんの数が少ない時に「…ちょっと来なさい」と母から呼ばれてお客さんの役目をさせられていたから、抹茶を飲み慣れていまして、中でも「濃茶」のどろどろ加減がお気に入りでしたよ。

お菓子の抹茶味を出すのに使われているものがどの抹茶なのかは、母に聞く機会もなかったがゆえに知りません。

母が贔屓にしていた茶道具屋さんである「山田園」さんは創業が安政元年という老舗であり、母が日本の2大茶会である「大師会」か「光悦会」の高額な茶券を山田園さんから特別に売ってもらい出席できたことを「一生の思い出になった」と後述していましたよ。

山田園の現在の店主は3人姉弟の末っ子でして、1番上のお姉さんとボクは同じ年ですが、1度か2度しか対面したことがないし、話もしたことがないのですよ。

宗偏流は「表千家」や「裏千家」などに比べて知名度は低いのですが「浜松では『ヤマハ』の創業者である「山葉寅楠」氏の血縁者が宗偏流に携わっていたために宗偏流を習う人が多いのよ」と母から聞いたことがありますよ。


さらに母からは『忠臣蔵』で赤穂浪士が「吉良上野介」を討つのにあたり、吉良の立ち寄る場所を赤穂浪士に教えたのは宗偏流の開祖「山田宗偏」の1番弟子である「大高源吾」であったとのことを聞きました。

女子高などでは作法を学ばせるために、茶道を教えることもあるらしいと聞きましたが、その時に和菓子に魅せられて「和菓子好き」になられる方も多いと聞きますし、最近知りましたが、幼稚園でも茶道を教えるところもあるらしいのですね。

日本の伝統文化である「茶道」を継承してくれる方が増えることは、たいへんうれしく思うのです。

この曲を聴くと母を思い出します、歌詞にある「南禅寺」とよく母は言っていた気がしますから、母が参加することができた日本の2大茶会のひとつは「南禅寺」で行われたのかもしれませんね。

これで母にすこしでも恩返しができたのなら、幸いですけど!

ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。