堀辰雄と嘉村礒多

1933年に嘉村礒多が亡くなった翌年に刊行された『嘉村礒多全集』の付録に、堀辰雄が「嘉村さん」という一文を寄せている。

「嘉村礒多さんとは三遍ばかりお會ひしました」

嘉村礒多が亡くなった年の4月に、南榎町の仮寓先を訪ねて行ったところ、「寝巻のまんま、玄関まで飛び出して」きた後、普段着に着替えて出てきて元気そうに見えたので、ついそのまま長居をしてしまったと書いている。

私小説を書いていた嘉村礒多は、堀辰雄の小説について、「あれは事實のままではありませんか?」と問いかけている。堀辰雄はこの作家の前では遠慮してあまり辛辣な受け答えはできず、当惑して黙っていたようだ。

「しかし嘉村さんは、すぐ分かるやうな嘘をついた子供をでも見るやうに、私の方を御覧になつて、なごやかに微笑んで居られました。そこで、私もしまひには、微笑み出しました。」

外に出て歩きながら、同じようなやりとりをもう一度繰り返して二人は別れたらしい。

「それが嘉村さんとの最後のお別れでした。いかにも嘉村さんと私との別れかたらしかつたやうな氣がいまだにしてゐます。」

小説を書く方法が違う作家が会うと、悪気はないのだけれど、いまひとつ噛み合わないようなやりとりになってしまうのだが、それを言い出すのも何なので、礼儀正しく友好的なやりとりに留めて別れてしまう。この二人の組み合わせについて、内省的に、いかにもそれ「らしかつた」と書くところが堀辰雄らしいといえばそうだろうか。

堀辰雄 「嘉村さん」(『堀辰雄全集』第4巻所収)

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