俺のアマ才能論

切り分けてお食べ下さい

才能とはなんだろうか。辞書で引いた感じ、「優れた能力」と言ったことが書かれている。そう、別に生まれ持ってなくとも才能と呼べるのだ。

どうだろうか。そこの君は、才能に「生まれ持ったもの」というイメージを持っていないだろうか。このイメージが無いのは、私のような異端児くらいなものだ。あって不思議じゃない。しかし今回はあえてここを抉ることとする。

さて、感性や身体能力などの才能は生まれ持ったものだろうか。私は20年足らず生きてきて、才能とかいう類は生まれつきであるものの方が少なそうであると考える。むしろ、幼少期に置かれた環境、ひいては現在に至るまでの環境が大きく才能の形成に関わっていると感じる。これは所感であるから、ここでは異論を認めざるを得ない。だが共感してくれればこれ以上嬉しいことはない。

だいたい、飯を食べなければ体は大きくならないのだ。筋肉もそうだ。体は使えば使った分だけ動かし方がわかってくる。これを脳に置き換えれないかというわけである。さまざまな作品や芸術に触れれば審美眼はそのぶん育つのだろうし、何か作品を作ろうとすればその分だけ技術が身につくだろう。これは子供が外で遊ぶときのように、自らが楽しめるような状態でこそ、より効果が上がると見ている。

つまるところ、生まれ持って才能が無いというのは当たり前であると言うのが私の論だ。なぜなら才能とは育てるものなのだから。それに、今この瞬間にも才能というやつは成長しているかもしれない。良いものを味わい、脳内で咀嚼する。そうして脳内世界にいったん出力し、新しいものを捏ね回す。そして次の外への出力に取り入れてみる。このプロセスはひとつの、才能(そのうちでも感性)を成長させる方法だ。これ自体も成長するだろうが、いったんここに書き留めておくことにする。

いかがでしたか?今回は、最新の才能論をまとめてみました☺️皆さんもぜひお試しあれ!

強引だが、これで締まっただろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?