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スーパーありさんタイム

「忙しい」という言葉に客観性が持てなくて、誰それがそのワードを放った時、その時本当に忙しいのは相手なのに、私が苦しくなることが多々ある。


「ストレス」もそうだ。私の共感力が高すぎるのが主な原因だとは分析しているが、その類のワードを聞いている(もしくはSNSなどの文面で読んでいる)と、息が詰まるような感覚に陥って、おろおろとする。

けれど、大概そのような言葉は事故というか、防ぎようのない場面で、しゅっと現れるもんだから、私はしゅっとやられて、氷漬けの魔法にかかったように、ぴしりと動けなくなってしまうのだ。



さて。
私は本当に日常的に泣くので、思ひ人と連絡を取る時に、泣いている時はカエルのマークを送っている。🐸これだ。

泣くと目が腫れて、二重の幅がものすごく分厚くなるのだ。それがカエルみたいなので、泣いていると「カエルになっちゃうよ」「🐸(泣いています)」と二人の間でやりとりがある。

ある日。
この「忙しい」を食らった時の、不安という言葉ではあまりにも足りない気持ちを常日頃感じては動けなくなってしまうことを、本当にどうにかしたい!と悶々としていた。

解決策として、相手に「忙しい」と言わないでくれというのは、あまりにもひどいと思っていて、それは、相手が弱音が吐けなくなってしまうこと、私が相手にとって広い受け皿でいたいこと、ポジティブなことだけ共有するのは違うと思うからだ。だから、この作戦は没である。

頑張ってね!と応援する作戦。これも無理はさせたくないが勝って、なかなか言えない。これも没である。

そこで、すこん!と腹に落ちたのが「ありさんタイム」だ。

忙しいを食らった時に、昔公園で見たありさんを思い起こす。

ありさんは、いつもせこせこ忙しそうに歩き回っていて、でも私たちはそれをじっと見つめるだけで手伝いはあまりできない。

餌をえっちらこっちら運んでいれば、道を邪魔しないようにしてあげるとか、巣穴まで持って帰れることを見届けることしかできない。

これは本当に効いた。
思ひ人から「今日は忙しい」ではなくて、「今日はありさんタイム」と言われた方がずっと楽なのである。私の頭にありさんが高速で巣穴のまわりをいったり来たりする様子が浮かぶ。

私は彼の忙しいをちちんぷいぷい消すこともできないし、ただそっと、でも近くで見守ることしかできない。

「今ありさん?」
「スーパーありさんタイム?」

なんだか少し滑稽でさえある。カエルに続き、ありさん。私は動物に変換するとどこか別の世界の動物たちの物語のように感じるのかもしれない。

しかし、しばらく続けていると、人間は慣れるもので「ありさん」と聞くと忙しいのだなあ・・・とまたしょんぼりしてしまう。


でもそんなときは、互いに喜怒哀楽を受け止めたいものね、と自分に言い聞かせている。私と人の距離感はまだまだ模索中である。

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