当事者意識のない五輪批判が日本人をダメにする〜オリンピックの商業主義と勝利至上主義〜
パリ五輪はもう始まっている。日本サッカー代表は24日夜(日本時間25日未明)パラグアイとの予選一次ラウンド第一戦を5−0で勝利した。本来「五輪の開催期間は16 日間を超えてはならない」のだが、運営上の実際に合わせることも認められている。国際競技連盟が認め国際オリンピック委員会(IOC)理事会が承認すればOKなのだ。
五輪が始まっていると感じたのはそれだけではない。7月23日からIOC総会が始まり、その総会に先立ち、総会の開会式が22日に開かれた。一般には知られていないが総会の開会式はプロトコル(儀典)に則り厳粛に執り行われる五輪の伝統的儀式でもある。
その開会式のスピーチでIOC会長バッハは世界平和を願った。
「第二次世界大戦以来の国際関係が歴史的な混乱に直面し、多国間主義が後退している。新しい世界秩序において、『協力』や『協調』が軽視されている中、オリンピック運動は統一の使命を持っている。オリンピック運動はグローバルであり、平等と連帯を大切にすることで、この変動に対応できる。
オリンピックの価値である連帯、平等、人間の尊厳を生きることで、世界を平和に導くことができる。平和にチャンスを!」と世界に訴えた。
そして、その日の午前中は選手村に赴き、選手たちが政治指導者に対して、平和を訴えたと報告した。パレスチナやウクライナ、難民選手団、ロシアやベラルーシからの中立選手(AIN)とともに「平和にチャンスを!」というバナーを掲げて。
ところが日本のメディアや言論からこのムーブメントを伝える声が聞こえない。逆にオリンピックを語るのは、お決まりの勝利至上主義とナショナリズムの扇動や商業主義化という非難の呟きである。一生懸命に五輪休戦の国連決議まで漕ぎ着け、五輪を開催し続けることで人類の平和への希求を維持してきた努力を鼻で笑うその人々は果たして世界平和のために何をしてきただろうか。
昨年11月に国連決議を得たオリンピック休戦期間は19日から始まっているが、ウクライナでの戦争もガザ紛争も休もうとしない。「武器を捨ててオリンピアに集まれ! 」の休戦思想を表現しているのはアスリート以外の何者でもない。その選手や役員や旅行者を保護するために古代ギリシアでは政治が戦争を休んだのである。それを選ばない政治にスポーツが叫べるのは確かに「平和にチャンスを与えてください。ちょっとの合間でもいいので」しかないではないか。
勝利至上主義はオリンピックモットーの本当で乗り越えられ、ナショナリズムは共通のルールの下での武器なき闘いによって凌駕できる。Citius、Altius、Fortius(より速く、より高く、より強く)はラテン語の比較級で最上級ではない。競争相手は共に勝利を目指す仲間なのだ。
識者は商業主義化と非難するが資本主義の胎動の中にいて、得られた利益をスポーツ界で配分するという生き方はまさに共有財産共有配分の原始共産主義に近いあり方だ。IOCはスポーツがスポーツによって稼いだ資金をスポーツに還元している事実は多くのメディアにスルーされている。
オリンピックの平和運動を批判するのであれば、自らが世界平和構築に尽くす証を見せてからにして欲しい。
IOCについてもロシアを排除してイスラエルを排除しないダブルスタンダードという識者の批判もあるが、オリンピズムの無知を証明しているに過ぎない。これがオリンピック研究家の発言だというから笑止千万である。
オリンピックは根本的に国を排除する。オリンピックを構成する一角は国内オリンピック委員会(NOC)であり、それは国家権力から自律した存在でなければならない。そうでないとIOCの承認を得られない。ロシアがパリ五輪に出られないのは、オリンピック休戦を破ったロシアという国家に対して、ロシアオリンピック委員会(ROC)が自律していなかったからだ。その証拠に昨年11月の侵攻で得たウクライナ領土内の競技団体をROCは自己の加盟団体にしてしまった。それによってROCはIOCから資格停止処分を受けた。つまりロシアにロシアを代表するNOCは存在しない。だからロシアはパリに呼ばれない。
東京2020ではロシアはドーピング違反の結果、ロシアの呼称を使えなかったがROCとしては参加を認められていたことが反証としてあげられる。
一方イスラエルのNOCはイスラエル政府からの自律を保っている。政府が行う軍事行動を含む政治には全く関与していない。もし政府がその圧力を持ってパレスチナ選手団との交流を禁止したり、妨害したら断固として立ち向かうだろう。同様にパレスチナは国連には加盟できていないが、パレスチナNOCはIOCに認められている。今回、パレスチナNOCからIOCにイスラエル選手団を除外してくれと嘆願があったが、IOCは上述の根拠に基づきパレスチナNOCを諭している。
それゆえに私は憂慮している。日本社会を。そして日本のメディアを。日本人の五輪音痴ぶりを。パリ五輪はオリンピズム130年、オリンピック128年だ。それなりの歳月である。しかしそれだけの歳月でもある。オリンピックは変化し続けている。特に1984年の資本主義化で財力を付け、1993年の五輪休戦国連決議と2013年のアジェンダ自己改革で政治力を付け、そしてポストコロナで世界の胎動の先端を行く。しかし日本のメディアも知識人もいまだに五輪を1984年の商業主義と巨大化の視点でしか見ていない。自らの認識を変える覚悟がない。
このパリ五輪。フランスの人々の思いの寄せ方は世界の人々のそれを象徴しているように感じる。とても熱い。彼らの五輪への期待と思いは2030年冬季五輪フランスアルプス地方での開催、2034年ソルトレークシティ・ユタでの開催への思いと重なった。昨日見た招致プレゼンテーションは莫大なエネルギーを発していた。五輪招致を断念した札幌市、そして日本人の冷めた思いとのギャップは開くばかりである。
なぜ日本では「空論」の批判が可能になり、なぜ「空論」が真実に聞こえるのか?それは当事者意識の欠如である。その時、その「場」の責任を担うとは何か?その「場」で何ができるのか?スポーツによる世界平和構築という「場」を担う覚悟がなければ何事も、そして何語も真実となることはないのだ。
パリ五輪が開会する。その「場」に繰り広がられる武器なき戦いに何が見えるか?そこに世界の連帯への証が見えるか?人々の友愛の兆しが見えるか?そして明るい未来の歌が聞こえるか?選手の平和構築運動がこれから始まる。
(敬称略)
2024年7月25日
明日香 羊
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編集好奇
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側聞するに日本のNOCはパリ五輪のメダル獲得目標を掲げたらしい。私が現役JOC職員時代から疑問に思い、苦言を呈していたことだ。NOCがオリンピック参加で成し遂げなければならないことは何か?闘いは個々の選手のものだ。その結果を選手団としてまとめていくつメダルを取りました!って全く意味がないだろう。一人一人の闘いそしてそれへの努力をリスペクトすれば、目標は「数」ではないはず。嘆息
「7.26パリ五輪開幕!徹底、実践五輪批判」が日刊ゲンダイで毎週木曜日に連載されています。オリンピックと平和について激論しております。ご高覧いただければ幸いです。
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