日本は何も学んでいない〜世界水泳選手権中継に見るsportの欠如〜

スポーツという言葉はsportの翻訳語である。実はこれ自体が誤訳である。東京2020(2021年に開催された東京オリンピック)は、日本人あるいは日本の社会がsportを誤解してきた歴史を表象したもののように思えてきた。それは現在、福岡で開催されている世界水泳の中継を見たことで確信に変わりつつある。

sportという英語はラテン語の「deportare」が語源とされ、日常からの解放がその原意とされているが、sportをそのままカタカナにすればスポートであるのに、なぜスポーツとされるに至ったか?そこに日本のスポーツ理解の陥穽がある。詳細は別の機会に譲るが、sportsを本来のsportとして概念規定したのがスポーツとなった。しかし、sportsというのは競技であり、陸上競技だったり、水泳競技だったりする「競技」のことである。具体的概念である。sportは「日常を超越する」という理念を示す抽象的概念である。

私が1983年に日本で初めて開催されたSport for All Seminar(アジア太平洋オセアニアスポーツ協議会主催)の実務を任された時、各国から招聘した講師の一致した見識は、このsportとsportsの違いに根本的に拘っていて、そこに私はスポーツの本来のあり方を学んだのである。日常を超越するための活動を具体的に実践するそれぞれのsportはsportsの単数系であるが、sportは万人が自らの日常を超える活動を目指す理念を象徴するのである。

明治以降、sportが日本に入ってきた時、それを理解し普及しようとした先人たちは、当初、このsportという外来語を正しく表現するために「スポート」と言っている。この例証をある報告書から発見した時、黎明期のスポーツを学んだ日本人はきちんとその理念を理解していたのだと驚きと共に感動を覚えた。

コロナ禍でのオリンピック東京開催の是非を議論する中で、私はメディアでも多くの方々と語り合ったが、趨勢が開催は諦めてもいいのではないか?という方向に行ったのは、オリンピックが様々な競技の総合大会であって、単なるスポーツ大会の一つに過ぎないという認識からであったと思う。スポーツが競技でしかないという概念を超えて、理念としてのスポートを想像することはできなかったのだ。

そして私もオリンピックを支えているのがオリンピズムという思想であることを伝えようという方向に熱弁し、それ故に本意を伝えきれないでいた。それはスポートがスポーツとは違うものであることを説いて明かす時間をきちんと持たなかったからだと今になって改めて思うのであった。単なるスポーツ大会であればそれは運動会と同等と言えるかもしれない。しかしスポートは理念であり、人類に平等に与えられた権利である。それは「日常を超える」理念のための実践でもあるのだ。故にコロナ禍という日常を超える力がスポートにはあるのだから、その理念の集大成であるオリンピックを開催することが挑戦になるという訴えだった。

このことに気づかせてくれたのが、現在行われており世界水泳である。東京2020での日本選手の活躍は目覚ましいものがあったが、今大会では低迷している。低迷しているが、大会をカバーするテレビ局はメダリストの元日本代表水泳選手を使い、盛り上げようと必死である。そして彼らの盛り上げの根拠は「日本人選手の勝利」でしかない。

それしかないので、準決勝の記録でも到底、決勝でメダルが取れそうにない選手でも、「期待しましょう」「調子がいい」「メダルへ!」と根拠レスのコメントを繰り出す。専門家の解説であれば、他国の選手の競技力のあり方、東京五輪以降の水泳界の進歩の有り様、トップ選手の技術の分析などを仄めかすべきなのではないか?しかしそのような語りやインタビューに遭遇できない。結局メディアも解説もスポーツは単なる競技会に過ぎないことを伝えているに過ぎないことになる。

それぞれの選手にはそのスポートに関わった独自の「日常からの超越」への実践努力がある。勝利を応援し、期待するのはスポートのその一面であるし、それを否定したらスポーツがなくなるが、その奥にある理念を解き明かす、あるいはそのヒントを与えるのが解説の務めであり、メディアの使命だろう。それが難しいというのなら、ただレースの模様と実況だけ流した方がまだスポートに真摯である。

さらに言えば、松岡修造のスポーツ音痴ぶりが忍びない。彼は東京五輪2020やるべしかいなかの時に、橋本聖子(当時、東京2020組織委会長)へのインタビューなどをやってみせたが、スポーツが「日常からの解放」である「仄めかし」すら導き出せなかった。平時なる世界で、運動会を盛り上げるのであれば、日本凄いです!頑張れニッポン!で鉢巻をして、スポーツは素晴らしい!と唱えることができるが、その絶対条件がないと何も伝えるものがない自己を表明したに過ぎなかった。彼にとってのスポーツはスポートにはなりえないことを示した。

東京2020が抱え、投げ勝てた「日本人にとってスポーツとは何か?」という問題をしっかりと受け止めて、自らのスポーツ論を反省しているかと思いきや、今次世界水泳選手権に堂々とMC登場。日本選手の勝利のみを期待するシュプレヒコールを繰り広げているのである。

「スポーツから何も学んでいない」としか言いようがない。

大会運営はスムーズに展開しているように見えるが。まさか代理店は?

(敬称略)

2023年7月29日

明日香 羊

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編集好奇
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この暑さは異常に思えますが、こうであっても地球温暖化は嘘だとか言っている識者?!がいるのには驚く次第。世界水泳でトップの泳ぎを見るのは「涼」すら誘いますが、「勝ち」だけを叫ぶしかない実況と解説には地球温暖化を感じる次第。

緊急提言「2030年ウクライナ冬季五輪の胎動」がゲンダイで連載されました。ご高覧いただければ幸いです。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/4575

YouTube Channel「春日良一の哲学するスポーツ」は8月1日に第13話アップ、ご登録の上、ご視聴ください。
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春日良一
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